第七十一話  お猿の同級生、大活躍!

  長引く病気で気力も体力も落ち込んだ自分を、病の底から引っ張り上げてくれたのは、福之助のアクシデントが、くすぶっていた舞台復帰への希望の灯をともしてくれたからだ。

 会を代表する名猿の福之助が正月を前に怪我をした。相方の笑には慰めの言葉もでない。せめて、代役をつとめあげること。その通リ、正月の舞台で四代目チョロ松は私のブランクを消し去るほどの芸で集まった観衆をうならせた。今こそ復活の時、チョロ松もお客様も背中を押してくれた。この四代目チョロ松と歩んでいく覚悟を決めた。それ以来、病気が悪化しないように注意しつつ舞台に穴をあけたことなどなくここまでこれた。

 しかし、私の気持ちには引っかかるものがあった。それはガッツである。ガッツは四代目チョロ松と同期で相部屋なのに性格はまったくの正反対、けれど仲が良かった。慣れない環境に来た時猿は群れになる。ガッツとチョロ松も二人で力を合わせて生きてきたのだ。  もう一つ心配なのが、笑が担当する福之助の回復が遅いのだ。笑の気持ちに一番近い自分には舞台復帰が叶わない笑の焦りと申し訳無さががよくわかる。そこで、兄と相談して福之助の怪我により宙ぶらりんになっている調教師笑に福之助が復帰出来るまでガッツと練習したらどうだろうかという相談を持ちかけた。

華奢な笑に6歳のたくましいガッツ 。大の男でもガッツに向かうには、二の足を踏んでもおかしくないほどの身体的なミスマッチ。成猿になったお猿さんとコンビを組むためには最初が肝心である。笑はガッツの前に立ちはだかり、自分がボスだと宣言した。笑に襲いかかるガッツ。堂々とした笑の態度にひるんだ瞬間、勝負は決まった。それ以後、ガッツは借りてきた猫に等しく笑の相方として動くようになった。もともと、周防猿まわしの会の基本がしっかり身についているのでガッツが基本を失うことはない。自分もこだわったこの基本芸が笑の手で花開いた。

 当初はガッツの調整をしてもらえばよいと安易に考えて始めたが、笑とガッツの相性も合っていたのか、一日一日ガッツは笑と成長していった。福之助の治療も思った以上に時間を要する展開になり復帰のメドがつかない状態だったのでガッツを福之助としてデビューさせることにした。調教師笑はガッツの持っている能力をいかんなく引き出してくれた。ガッツの最も輝いている演目は『魚屋さん』。周防猿まわしの会の曲を1000曲も手がけてくださった音楽家兼ピアニストの青木晋太郎さんの曲にみんなで作詞した。今や福之助・笑コンビの代名詞とも言えるヒット芸だ。何百回と「魚屋さん」のネタを見てきているが、「もうみ過ぎて飽きたなぁ」と一度も感じたことのない、一見リヤカーを引いて歩いているだけ、天秤を担いで歩いているだけと思いがちな単純な芸を見せられているようで、この芸の中に猿まわしの芸の奥深さ、いや猿まわしの芸の真髄さえ感じる。今や周防猿まわしの会を代表する押しも押されもせぬコンビとして獅子奮迅の働きをしてくれている。

 お猿さんがやらされている芸はつまらない。よく(タナ・・・芸猿と調教師をつなぐヒモ)を「猿まわし師・・・我々は調教師と呼ぶ」がひっぱり無理やり芸をさせるシーンを見かけるが、あれこそ最低の芸ではないかと思っている。人間の傲慢さを見ぬいたお客様が、みっともないねと教えてくれるが同感だ。調教師と芸猿の絆を下に芸猿が舞台いっぱいに自由に動きまわる芸こそ見応えある猿まわしだと思う。ヒモで引っ張り回して「猿まわし師」と自称するのでは、形つくって魂なし、世間の心も離れていくだろう。この流れと全く反対の世界を演じるのが福之助・笑コンビである。関心のある方は一度阿蘇猿まわし劇場で舞台をご覧になってほしい。周防猿まわしの会のコンビは良い意味でも悪い意味でもいろんなことに気付かせてくれる鏡である。私は、自分を見つめなおす時に毎回、福之助・笑コンビを見る。猿まわし芸の原点に戻れるヒントをもらうためだ。

 12年に一度の申年、天候に恵まれ、阿蘇猿まわし劇場、河口湖猿まわし劇場共に賑やかに初笑いをしていただいた。あまりマスコミから声もかからない無名な我々だが、いつもの年よりお猿さんに注目していただいたお客様に各地からおこしいただいた。

 今年の春(2016年2月1日)、阿蘇と河口湖の劇場で2頭のスター猿がデビューする。お猿の命ある限り、舞台で輝かせることこそ私たちの大事な使命である。日本で唯一の無形民俗文化財に指定された我々の芸も守らねばならない。

「またこようね・・・」と言いながら家路につく家族連れにそっと頭をさげた。