第七十話 とっさの決断

 投薬治療を続けて約半年がたった。効果もあり、体の調子も良く舞台復帰への兆しが見えたかと思い行動に移そうとするが身体の震えが止まらず自分の体ではないのかなと思えるぐらいコントロールすることが出来ず結局復帰への道は遅々とした回復、悔しい思いが続いた。

 ところが、この閉塞感を打ち破る出来事が起きた。バセドウ病を発症して1年半以上が経った2008年12月15日の夕方、若手芸人の笑から突然メールが入ってきた。沖縄出身のこの女性調教師は、周防猿まわしの会の基本を実践して、いよいよこれから花咲く時誰からも将来有望と期待されていた。ところが思い通りにならないのが残念だが、コンビを組んでいた芸猿・福之助が稽古中に右足を骨折し全治1ヶ月以上の診断が必要と連絡を受けた。福之助・笑コンビは正月公演のイベントの出演も決まっており、どう考えても残り2週間では回復に間に合うわけもない。怪我をしたときこそ、慌てずじっくり待ってあげることが大切なのだ。

しかし笑からのメールが届いた直後、「ここはチョロ松・五郎コンビの復活しかない。」と即座に判断する自分がいた。芸人の笑には「福之助の怪我は残念なことだが、まだまだこれからの芸猿。ここはまずは治療に専念して下さい。福之助・笑コンビの代わりに私が舞台復帰するので安心して治療に専念して下さい。」とだけメールを打ち返した。返すと兄に連絡し「チョロ松が復帰しますので」と伝えて正月体制を組み直してもらった。バセドウ病が震えを起こし力を奪うのに、その時、復帰できなかったらどうしよう冷静に考えることなど私自身にはなかった。決して全快しているわけではなかったのだがいつ回復できるかわからない病気、今私にとって一番の特効薬は舞台に復帰することではないのかなと考えていた時期でもあり、何か復帰に対して踏ん切りをつけるきっかけとチャンスをうかがっていた。  ただこの時点で三代目チョロ松は年齢も14歳を迎えたうえに1年半という長期休養のブランクがありどう考えても復帰するには無理がある。私が復帰の相方にと選んだのが後の四代目チョロ松である。周防猿まわしの会では不測の事態にも対応出来るようにと、一人前と認めた調教師に、もう一頭お猿さんを育ててもらうことにしている。脂に乗った芸猿が出番を待っていたのだ。舞台に立つお猿さんとしても天下一品であるが幼い時にちょっと甘やかして育てられていることでかなりわがままで一筋縄ではいかないお猿さんであった。周防猿まわしの会の調教師であっても使いこなせるとは言えない荒々しさと強いプライドをもっていた。力だけで制御できるほど単純でない。前には四代目チョロ松、背後はバセドウ病、と背水の陣である。

 こんな形での復帰は予測できなかったが、わたしの闘病生活を支えてくれたお猿さん、ファンんの皆様、周防猿まわしの会の仲間のためにと思うと、這ってでも前に進む、どんな形であれいよいよチョロ松・五郎コンビが復帰する時がきた。兄に台本を書いてもらい、すぐさま稽古を始めて、決断をして5日後の週末には四代目チョロ松・五郎として舞台に立っていた。