第七話 監督を魅了した表情

1987年6月下旬、場所は神奈川県にある芦ノ湖のほとり、現場に入りスタッフの人数・機材に圧倒される。スタッフだけで50人以上はいただろうか。「一体何を作るの?ただウォークマンを持って立っておけばいいんだよね。」ぐらいの軽い気持ちで撮影に臨んでいたので想像していた以上の規模に驚き今までに経験した事のない緊張を感じた。撮影時間はうっすらと靄(もや)がかかっている時間帯を狙っているため、午前5時から8時前後(準備は2時間前から行うので3時過ぎには起床)、お昼は休憩して午後3時から7時過ぎまで一日7、8時間の撮影が三日間にわたった。 いよいよ撮影が始まった。チョロ松はいつも通りに見事な姿勢で「ひじは直角になっていてSONYブランドが強調できている。」と結城監督からもほめられ順調なスタートがきれた。「正直言ってこれなら簡単に撮影も終わるだろう」と思っていたが撮影が進むにつれチョロ松に求められることも厳しくなってきた。そしてもうひとつ自然との闘いがあった。たまに吹くちょっとした風でチョロ松の輝いた毛並みが動くと監督の「カット!」。そしてチョロ松は長時間の撮影と同じ動作の繰り返しで徐々に飽きがきてテンションが下がり、ウォークマンを持つ手が微妙に下がる。本当に微妙に下がるだけで監督の「カット!」。チョロ松に同情したくなる様な緊迫感の中で撮影が続く。あってはならないことだが二日目の撮影中には、私の気持ちが切れかける。すると撮影に立ち会った親父からは「五郎、代わりのコンビは他にもおるんじゃけえ、やる気がないなら今すぐやめて帰れ。」その時の私は言われれば言われるほどふて腐れてしまい空気を悪くしてしまう。監督から、「休憩しましょう。」という声がかかる。そんな時に盛りあげてくれたのが撮影スタッフの「げんちゃん」。彼は同世代でもあり共に大の矢沢永吉ファンだった。私がイライラしていると「五郎さん、永ちゃん聞いてリラックスしますか。」絶妙のタイミングで声をかけてくれる。こんなわけで、監督以下スタッフの方には本当に助けていただいた。だが、チョロ松はどうだろうか。愚痴も言えないしやめることもできない。チョロ松のことを考えれば弱音を吐いている場合ではないと気持ちを切り換えて撮影に臨むが刻々と撮影時間は過ぎていく。結局監督の納得する映像が撮れないまま二日目の撮影が終了した。

 そして撮影3日目の朝、その時が来た。撮影が始まって2時間ぐらい経ったのだろうか。休憩するのに何気なく立ち位置のところでチョロ松を椅子に座らせて休ませた。すると突然、監督の「その顔です」の一言。撮影中、私はチョロ松の前に穴を掘って隠れていたためリアルタイムでチョロ松がみえていなかった。私は「何?」と思ったが、チョロ松が椅子に座って休憩した時にうたた寝している表情が良いらしい。「えっ!これなの?」という感じである。というのは、チョロ松はリラックスして椅子に座れば必ずこういった表情をする。特別でなく日常のことだったからである。「この表情が良かったのなら、最初から言ってくれればいいのに・・・」と冷静に思っていたが、監督さんは、興奮しっぱなしだった。「椅子に座ればいつでもやりますよ」。今まで約20時間以上は立ちっぱなしだったチョロ松からすると、「こんなに楽でいいの」と面喰らった表情ではあったが、私は、「1秒でも長くいい表情をしてくれ」と祈りながら監督の声を待つ・・・「OK!」。これまでの張り詰めた現場の空気が一変した。チョロ松も私もこの3日間の疲れがとんだ瞬間だった。
長時間にわたる撮影、結城監督以下素晴らしいスタッフに恵まれ、このCMにかける情熱とねばりには感服した。本当にありがとうございました。そして何と言っても、撮影で約30時間も立ち続けたにもかかわらずケロッとして疲れを微塵も見せることがなかったチョロ松。撮影が野外ということ、照明が熱い、様々な困難な環境の下では普通のお猿さんであればじっとしている事は出来ないが、チョロ松の強靭な体力・精神力で撮影をやりきってくれ本当に感動した。

 SONYさんの意気込み、スタッフのバックアップ、周防さるまわしの会のこだわり、そしてチョロ松のさりげない仕草が凝縮して「瞑想する猿」というとてつもないCMが日本いや世界全体を席捲しようとしていた。


 本編から話はそれますが、

 これまでの猿まわし人生、本当に沢山の方に支えられ、励まされ、時には厳しく指導いただきながら頑張ってくることが出来ました。実は、2010年夏、私にとって大切な方が二人亡くなられました。一人は佐藤さん。猿まわしを始めて間もなく代々木公園で大道芸をやっている私に声を掛けてくれたことがきっかけとなり長年公私にわたりお付き合いをいただいた方です。年齢が18歳も離れているにもかかわらず、私のことをいつも兄弟のように心配してくださいました。最近では、周防さるまわしの会、そして河口湖猿まわし劇場の関東における認知度を上げるためにと自分の仕事はさておき私達のために本当にご尽力いただきました。自分のことよりまずは佐藤さんのまわりの人達がよくなることをいつも優先していた。付き合う中で不思議な方であった。もう一人の方は、「めでたや」の創始者である藤井信(まこと)さん。日本で初めて「餅つき」をパフォーマンスとして商いにした第一人者で、出会いは、私が猿まわしを始めた年の夏休み、横浜にあったドリームランドという遊園地でのイベントでした。初対面ながら執拗に「ショーが終わったら食事でもしようよ。」と声をかけられたりしましたが、まだその頃の私は若干人見知りの性格と協調性のなさもあり、また藤井さんがあまりにもしつこいこともあり絶対付き合いたくないというのが第一印象でした。その後も同じ現場で顔を合わせることがあったのですが、「ちょっと、おっさん(32歳当時の藤井さんのこと)のパフォーマンスを見てみようか」と見世物小屋を覗く。芸人「藤井信」の面白いのにびっくり、芸人としての魅力を感じ「藤井さんから学びたい」と思うようになりました。その頃の私は、お客さんをお客さんと思わず接する横柄なところがあり、帰りのロイヤルホストで、藤井さんに「お客さんがあるからこそお前達が活かされているんだ」と説教をされたのを思い出します。藤井さんは、私の芸人としての目標でもあり、時には兄貴のようにも慕った24年間でした。大切な存在でした。今後、「チョロ松物語」が進む中で、お二人の話しも紹介させていただきます。かなりきつい夏になりましたが、「苦しい時こそ前に進まなければいけない」という親父の言葉を思いだし、二人の分も精一杯頑張ります。

 ご冥福をお祈りいたします。