第六十八話  致死寸前に追い込まれる

 4代目チョロ松との舞台、さらに私が調教師として一から育てたガッツのデビューを前にして突然の自宅療養が始まった。二頭の芸猿を使い舞台にあげることは我々の新しい課題であり、ここでそれが可能だという実績も必要だった。私の調教師としての手習いも多くのことを学ぶことができると期待が高まっていた。

私の体を麻痺させる病気の正体は地元の中心的医療施設でのあらゆる検査ではあきらかにならなかった。後でわかったことだが、究明の難しい病気でもなんでもなく、駆け出しの医師でさえ一発で指摘できなければならない病気であり、後にかかった医師達が首をかしげるほど、病名を特定できなかったことに驚かれていた。結果次第では、致死性の心肺停止が起こり命を失っても不思議ではなかった。

話を戻すと、自宅療養の傍ら、改めて医師の指示によりあらゆる検査を徹底的に行ったが原因も究明されず時間ばかりが過ぎていく。ただ、このまま自宅療養しながらの寝たきりでは気持ちも落ちていくし舞台復帰は遠のくばかりである。藁にもすがる思いで腰の病気を患った時にお世話になった兵庫県尼崎の鍼灸師の名医のもとを訪ねることにした。
T先生は私の体をさわってみるなり「これは喉周辺か延髄あたりがかなり悪いですね」と思いもよらない発言をされた。「先生、その辺りはどこも痛みも違和感がないのですが」と答えるとT先生は「すみません。私は医者ではないので正確とは言えませんが」とのやりとりあったが、1時間以上に及ぶ治療は当時の体力からするとかなりの負担であった。施術により慢性的な倦怠感や痛みが和らぐので原因がはっきりするまでは奇跡でも良いからと思い、尼崎へ通うことにした。1ヶ月後、二回目の針治療のため兵庫県へでかける。初日の治療を終えて梅田のホテルに戻り夕方までひたすら寝る。この施術後は驚くほど爆睡できるのが特徴で、起きると梅田の町を散歩しながら夕食をとりホテルに戻る。直ぐに寝つき、翌朝針治療に行くという日課だったが、朝起きて体重計にのると急激な体重の減少が起きていた。痩せることに不安を感じ、食べることに走った。その時には吉野家の牛丼の大盛を三杯食べたが、後にこのことが自殺行為であったことが判明する。

針治療の効果でホテルでは気持ちよく休めていたのだが治療二日目の早朝、つまり明け方午前3時頃、パッと目が覚めた。すると手の指以外体全体がまったく思うように動かない。最初は金縛りかなと思い一度目を閉じ、しばらくして目を開くが一向に体は動かない。次第に喉が締めつけられたように息苦しくなってくる。徐々に自分の置かれている大変な事態に気付き慌てて枕元の電話に必死に手を伸ばし、この間の行動は「生きる」ということだけに必死だったので憶えていないが、とにかくがむしゃらに電話して偶然にもホテルのフロントに繋がり救急車を呼んでもらうことができた。しばらくしてホテルの方と救急隊員が駆けつけてくれた。私の容態を確認して救急病院に連絡するが私の容態を聞いてかどこも病院が受け入れてくれず、たぶん救急車は1時間以上動いておらず八方ふさがりの状況であった。救急隊員の方のあきらめない気持ちがようやく届き受入病院が見つかり搬送された。絶体絶命の時、救ってくれる天上界優心先生に携帯で助けを求める。その時間優心先生に電話が繋がることなどありえないが、携帯の向こうで、助けるから大丈夫と先生が応援してくださった。集中治療室に搬送されるまでは命の危険を感じ、たが原因もわからず処置が進まない。その時、助手と呼ばれていた女性の医師が突然口を開いた。「以前研修医のとき、患者さんと似たような方が搬送され、急に体全体に麻痺を起こし運ばれてきたことがある。その方はなんらかの病気と低カリウム血症の合併症を起こしていて筋肉が動かなくなっていました。カリウムの数値を検査してみたらどうでしょうか。」すぐさま、カリウムの検査をして数十分後、その通りであった。カリウムの数値がほぼ致死に近い状態にまですすんでいた。心肺停止を免れたのは奇跡である。カリウムの点滴を投与して数時間後、全身麻痺で全く動かなかった体が動き出した。早朝に搬送されてお昼前には自分でお手洗いに行けるほど回復していた。外の空気が吸いたく看護婦さんに車椅子に乗せてもらい病院の表に連れて行ってもらうと街の光景を見て驚いた。搬送されるのに1時間以上時間を要したはずなのに搬送された病院から泊まっていたホテルが目と鼻の先に見えた。地獄から生き返ることができた。

 早朝に搬送されたことを兄に連絡しておいたので、すぐさま兄は車椅子も用意して寝て帰れる車まで準備して甥っ子と一緒に山梨県から大阪に駆けつけてくれた。兄は私と病院で対面するまでは最悪の状況を想定していてか、自分で歩いている姿を見た兄は拍子抜けのような顔をしていた。 病院からは病名がはっきりしないので三日間ぐらい検査入院してという話もあったが落ち着いて治療が出来ることを考慮して山梨県に戻り病院を探すことにした。病名は男性には珍しいバセドウ氏病が疑われ、吉野家の牛丼を食べ過ぎ、極端にカリウムが減少し、死の寸前まで追い込まれたのが今回の事例であった。

優心先生に命を救って貰った。危機一髪、命がつながり、病気を的確に診断して処置し てくださる緊急医師に出会えた。投宿している「阪急ホテル」の方は何度も見舞いに来てくださった。「何か不便なことや出来ることがあればおっしゃって下さい」と親切に対応していただいた。数ヶ月後、回復に向かいかけた頃に大阪のホテルに宿泊も兼ねてお礼に行った際には快気祝いと、部屋をグレードアップしていただいた上にディナーまでご馳走になった。迷惑をかけたのにこの応対には涙がでた。一方、朝一甥っ子と駆けつけたくれた兄は折角大阪に来たのだからと、数あるたこ焼きの名店から候補を選んで購入し、私を車に載せ山梨に向かった