第六十七話 突然の痛み

  ガッツは稽古を重ねていくほど日々成長しデビューも間近であると実感していた。ところが、私に調教師として学ぶべき課題が残っているとなかなか舞台に上がれるコンビとしての合格点がもらえなかった。2007年6月、ようやく師匠である兄からガッツ・五郎コンビのデビューが認められた。夏休みまでには河口湖猿まわし劇場の舞台の戦力としてデビューできるよう仕上げの階段を登っていた。

 その6月、三代目チョロ松と私は兵庫県明石市でのイベント出演の依頼を受けていて午前中の舞台出演を終えるとすぐに河口湖猿まわし劇場を出発した。出発した直後、国道をカーブする際に後ろのタイヤが滑っているのを感じ、すぐさま車を停め確認するとタイヤの溝がまったくないことに気付いた。高速に乗る前にイエローハットに立ち寄るがやはりこの擦り切れたタイヤでは兵庫県を往復するのは不可能と判断しその場でタイヤ交換してもらい一路兵庫県へ向かった。出鼻を挫かれた。明石市のホテルへ到着し地下駐車場に駐車するとホテルのガードマンの方が近寄ってきた。『周防猿まわしの会』と書かれた車のロゴを見て、「お猿さんが乗っているんですか?車に乗せたままは困るんですが?」と言われたので、周防猿まわしの会はきちんと届け出しているため何も問題ない旨を伝え調べてもらい、この件も理解を得られたが河口湖出発からトラブル続きで何かと胸騒ぎを感じた。

 一夜明けてイベント当日は朝からいつ雨が降ってもおかしくない天候であった。一回目のステージは何とか天気も持ち用意された会場の客席も一杯でチョロ松も長旅の疲れを感じさせないパフォーマンスを披露し大盛況に終わった。直後雨が降り出した。会場が野外のステージから近くの体育館に移される。舞台道具を移動して準備をしていたその瞬間、右足のふくらはぎに激痛が走った。まだ我慢できる痛みだったので、何とか二回目のステージも行えた。チョロ松は私の異変に気遣う様子、こんな時こそ知ってか知らずか、頑張ってくれる。チョロ松に助けられ無事、役割を終えることが出来、河口湖への帰路へつく。

 河口湖に戻り痛みが治まるのを待つがふくらはぎの痛みは日を増すごとに激しくなり数日後には股関節にまで広がった。痛みの次には舞台上で緊張しているわけでもないのに急に足がガタガタ震えだした。風邪をひいた感じもないのにとにかく震えが止まらなくなり、次には手も震えだした。もともと17歳の時に患った第五腰椎分離症が原因なのではないかと思い急遽MRIの検査をしてみた。これらの症状の原因は腰でない。頚椎、股関節、膝と何箇所も検査してみるしかないという診断がくだる。関節等の痛み止めの処方箋を出してもらうがよくなる気配は全くない。とうとう体重にまで症状があらわれてきた。85キロ近くあった体重が一ヶ月も経たないうちに20キロ近くも落ち、歩くことすらままならなくなった。ここまでくると自分に何が起きたか猛烈な恐怖心が起こり、癌検査まで行ったが、癌の疑いはないという検査結果であった。病気の原因を突き止めたいと考え、あらゆる検査を重ねるが原因不明のまま症状が良くなることはなかった。

 劇場の一番の書き入れ時であるお盆を前にして原因不明の症状を抱えて自宅療養することになった。予想もしていなかった闘病生活に入り当然ながらガッツデビューも宙ぶらりんになったまま、絶好調だったチョロ松は突然舞台のパートナーである私を失い、ガッツとの調教日誌は2007年7月2日を最後に更新されることはなかった。