第六十六話  最後に受けたオファー

 ガッツの調教は私にとって調教師としての再出発を意味していた。周防猿まわしの会を代表する名猿チョロ松の相方としての評価やプライドを捨て、一調教師として学びたいその願望が自分を駆り立てていた。ガッツは野生の力を持つ見事なニホンザルではあったが、見かけに見合わず臆病でもあった。当然、ガッツは強がり、他者を寄せ付けようとしない。その性分を掴み一緒に歩み始めるのに過分な時間を要した。それが真の学び直しであり多くのことを学ばせてもらい、今も調教師を続けられ若手と歩んでいけるのもその成果だと感謝している。しかし、自分には思いがけぬ病魔が忍び寄っており成長したガッツと舞台に立つまでに育て上げる余裕は残されていなかった。私とガッツにはそれぞれのドラマが待ち受けていた。

 その頃、初代チョロ松も人生(猿生)の終焉を迎えようとしていた。

 初代チョロ松は12歳で引退してから、阿蘇猿まわし劇場の敷地内にある芸猿専用の家(猿舎)で、周防猿まわしの会復活直後を盛り上げた芸猿・常吉や三平という一期生世代と誰に干渉されることなく余生を過ごしていた。猿舎には現役世代も一緒に生活していたが大先輩の存在は大きくボス猿グル?プとして君臨していた。なかでもチョロ松と常吉とは決して仲が良いとは言えず、常に阿蘇猿まわし劇場のボス争いを展開しながらも引退生活を謳歌していた。しかし猿社会にも世代交代がある。ともに猿まわしの時代を支えてきた名猿達が去っていく中で芸猿社会の勢力図もガラリと変わり、おじいちゃんになったチョロ松も寂しげであった。

 引退後もチョロ松へのオファーは続いた。しかし、静かに引退生活を楽しんでもらいたいという願いで、初代へのオファーは断り、その役割は二代目、三代目に変わってもらった。 ただ断り続けていた初代チョロ松の出演を、珍しく受けたことが一度ある。本当に亡くなる数ヶ月前のことで、関西の某テレビ局が企画している番組である。高齢のチョロ松をテレビの映像で流すことは本望ではなかったが企画書を見させていただいたときに、物珍しさで撮影したいのではないというTV局の気持ちがわかり承けることにした。

 取材当日気になっていたのは、大抵部外者が訪ねてくるとお猿さんたちは警戒し当然チョロ松も部屋から運動場に出てこない。ところが、レポーターTさんが「チョロ松くん」と部屋に向かって声をかけると珍しく顔を出し、レポーターTさんの傍に寄り添うように座った(当然、網越しだが)。そしていつもならカメラを見るとすぐに部屋に帰ろうとするのだが、レポーターTさんがチョロ松にねぎらいの言葉を語りかけているのを静かに聞いていたのには驚いた。普通であれば台本を喋っているだけでチョロ松は当然聞く耳を持たないのだが、レポーターTさんには台本はあったと思うが、知っているチョロ松の思い出を生の言葉で語りかけていたのでチョロ松に気持ちが届いたのだと思う。今もレポーターTさんを見ない日はないというぐらい活躍されているが、チョロ松を取材してくれた時と全く変わらず全国の事件やイベントをより国民にわかりやすく伝えてくれるレポーターT氏のことを一層注目して応援するようになった。

 その取材から数ヶ月後の2007年1月14日早朝、初代チョロ松は眠るように息をひきとった。享年29才8ヶ月(人間の年齢にすると100歳近く)である。後に国民的スターでもあったことを知る。

 実は最も早くチョロ松の訃報を伝えたのは、アメリカのニュースであった。当時カナダにいた甥っ子から、「チョロ松亡くなったの?アメリカのYahooのトップニュースで紹介されているよ」と連絡があり、ネットを検索するとトップニュースで紹介されていた。メディアを通じチョロ松の訃報は瞬く間に全国民に、そして世界に発信された。
意外だったのは皆様からの反応で、「あのチョロ松はまだ生きていたんだ?」という声。余生を紹介しないようにしていたのだから当たり前ではあるけれど、現役引退後も長くチョロ松が長寿を重ねたこと、その環境を維持してきた周防猿まわしの会に対して「本当に大事にしていたんだね」等、たくさんの声お褒めの言葉をいただけたことは嬉しかった。そして、現在も現役を引退した芸猿達は阿蘇猿まわし劇場と河口湖猿まわし劇場でボス争いに明け暮れながら余生を楽しんでいる。

 ウォークマンのCMに出演してから27年も経った今でも、劇場でチョロ松の展示物をお客様は懐かしそうに見ている。なかにはまだウォークマンのチョロ松が河口湖の舞台で活躍していると思って来場してくださっているのか、舞台終了後のお見送りの際に「チョロ松くん!ウォークマンのCM見ていたよ」とよく声を掛けられる。
今のチョロ松は違うよと説明する時間もないが。「チョロ松が生きていたなら38歳、人間にすると130歳、そんなことあり得ない」と心の中で笑いながら、チョロ松はあの訃報以来、皆様の記憶の中で永遠に生き続けているのだろうと思う。ありがたいことである。