第六十五話 ガッツの叫びに耳を傾ける

 芸猿にするためガッツの調教が始まった。言い換えれば「私、村崎五郎の根切り」が開始された。夏休みの公演を阿蘇の劇場で過ごし戻ってきた河口湖は秋の気配が忍び寄り調教にふさわしい季節をむかえていた。

 ガッツにとっては初めての河口湖、そして河口湖猿まわし劇場である。早速、まずは河口湖の環境に慣らすことからスタートした。劇場の敷地を出てガッツと散歩をするのだが、敷地を一歩出るとガッツが落ち着きをなくし、激しく抵抗し暴れる。私は「大丈夫だよ。」と何度も言い聞かせ落ち着かせようとするが通常の四足ですら歩こうとしない。数日間トライしてみたが一向に落ち着く気配が感じられず一旦調教をストップすることになった。何十頭ものお猿さんを見てきた兄ですら今までに見たことないぐらい臆病なお猿さんで、まずは芸猿達と生活が安定するまで様子をみようと方針転換した。チョロ松はじめ芸猿達との生活を大事にして様子と経過をみることにした。

 中断して半年近く経っただろうか。ふと猿舎のガッツの表情を見ると顔つきも少し穏やかになっているように感じたので兄に相談し調教を再開することになった。以前とは見違えて警戒心がなくなり、私と安心して調教に臨めるほどにガッツの精神面も安定していた。四足での歩き、二足歩行への調教は順調に進んだが、劇場外へ散歩に出ることは極端に嫌がった。そこで外出は諦め、ガッツが安心して散歩出来る劇場敷地内の遊歩道を利用して二足歩行の練習を数ヶ月にわたり行った。
 そして次の段階にステップアップするために稽古の場所を劇場2階のリハーサル室に移し、いよいよ舞台にあげていくための『立ちまわり』や並行して、数種類の演目の調教に入った。ここでガッツの才能に驚かされた。3歳を迎えるかどうかのまだまだ小猿であるガッツがジャンプの芸で高さをどんどん伸ばしていく。この年齢の猿ならせいぜい50センチから70センチが最高の高さだ。ところが、ガッツは軽々1メートルをジャンプしてみせてくれた。飛び越える際に左手をぐるぐるまわしながら勢いをつけながらジャンプする。このジャンプはガッツだけの特長ある個性的なジャンプだ。このように、猿それぞれに個性が違い、魅力ある芸をみせてくれることが調教の楽しみである。
 デビューするには『立ちまわり』を完成させなければいけない。今度は劇場の舞台が稽古場となる。来る日も来る日も『立ちまわり』の調教に専念した。稽古が始まると兄は何を言うわけでもなく、ガッツとともに成長していく私の姿を見守ってくれて、稽古が終わった時にその日の稽古の総括を一言だけ伝えてくれる。ガッツや兄から学んだ調教については周防猿まわしの会の秘伝なので詳細には書けないけれど、兄が調教師として私に伝えたかったことは技術云々を越え、私がガッツ(お猿さんたち)から学ぶことの大切さだったと思う。自分の気持ちよりもガッツの気持ちを最優先させ成長させていかなければいけないということをくどいほど指導された。

 初代チョロ松と多摩川河川敷で散歩をした際、親父に言われた二十年前のシーンを想い出す。 チョロ松物語第一話にはこう書いている。
 チョロ松へ 親父(注:周防猿まわしの会初代会長村崎義正)に散歩の稽古を指導してもらった時のことを憶えているか。当時の日課だった多摩川の河川敷1.5キロの散歩、半分過ぎたあたりだったかな、疲れてきて歩くのを拒否する君を無理やり歩かせようとする。その時親父が「チョロ松は歩きたくないと言っているのに何故お前は無理やり歩かせようとする。大切なのはまずチョロ松の気持ちだ。」それからしばらくしてチョロ松が歩こうとした時「そうか、歩くか、よしええど」チョロ松と会話している親父に驚いたし、何よりチョロ松の気持ちを大切にしていた。その時、もう1つ大切なことを教えてもらった。「ええか、やらせちょる芸は猿まわしの芸じゃない、お猿さんが自ら動くのが芸じゃ」

 親父の指導から約二十年の時を経て、今度は兄に全く同じ指導を受けている。ずいぶん遠まわりしたなと思うが、真の調教師になるためには自分自身で気づくほか調教師への道はない。