第六十四話 ガッツが五郎を「根切り」する

 私も四十歳を前にして調教師として大きな分岐点を迎えようとしていた。

 河口湖猿まわし劇場がオープンして8年目だったか、周防猿まわしの会が阿蘇と河口湖の二大劇場を構えるなかで河口湖猿まわし劇場は多くの人口を抱える関東に位置し、今後の両劇場の発展の鍵を握る劇場であるにもかかわらず、沈滞ムードがただよい改革を必要としていた。阿蘇劇場を母体に河口湖劇場ができその達成感が現状維持の意識を強くしていた。阿蘇劇場に比重を置いていた兄が頻繁に河口湖入りをするようになった。河口湖劇場に魂を入れたいと兄は並々ならぬ闘志を抱いてやってきた。

 なかでも芸能部長である私の役割と成長は大きな比重を占めているにもかかわらず、当の本人である私の腰の据え方の悪さに兄は頭を抱えていた。私は交友関係が広く、何か理由をつけてはアドバイザー、友人といった様々な人達と交流を深めてきた。子どもの頃から末っ子の特性を生かし人の懐に入り込むことが得意だった。この人脈づくりが劇場にもたらす効果もあったと思うが、得意分野に力を注ぐあまり若手と向き合う時間がなくなり、肝心の若手に対してどうしても目が向けられない弱点が残った。この現状を把握した兄は劇場の屋台骨である芸能部の立て直しに着手するが、頑固でわがままな私をどう料理するか本当に苦労していた。兄から厳しく指導が入ると「俺は高校の先生になり甲子園を目指したかったんだ。」とこんな覚悟の決まらない言葉を吐き続けて困らせていた。そんな逃げ腰の私の気持ちを受け止めた上で、何度も何度も私に「五郎、お前の野球部はどこにあるんだ。周防猿まわしの会の芸能部、これがまさしくお前の野球部じゃないのか・・・」と諭し生まれ変わらせようとした。こんな兄とのやりとりが幾度となく続いた。
若手に向かおうと思っている以上に若手調教師のレベルは高く、芸能部長として知ったかぶりもしなければいけない、時には背伸びをした発言をしなければいけない。ほとほと自分の調教師としての能力の低さに気付かされ、ものすごい壁にぶち当たっていた。名ばかりの芸能部長気取りをやっていることが辛く感じていた。

 こんな時にある一頭のお猿さんによって調教師としての新たな道が開けようとしていた。夏休みの真っ只中のこと、チョロ松と私は阿蘇猿まわし劇場の舞台に立っていた。そこに兄から「河口湖に若いお猿さんがいるので阿蘇に連れて行って欲しい」との電話があり、早速翌日私が連れに行くことになった。阿蘇に向かう新幹線の中、小猿は初対面の私と初めて乗る新幹線に怯えていた。そんな小猿を見ているうちに自分が連れに来たのも何かの縁、このお猿さんと周防猿まわしの会の調教を一から学び直したいと思った。真の芸能部長になるためにそれしか私に残された道はないと考えた。まさしく今がチャンスだと感じた。
「この小猿を私に調教させて下さい。そして兄貴に師匠を引き受けてもらい指導してほしい。」と直談判した。兄は喜んで引き受けてくれた。この小猿はボクシングの元世界チャンピオン「ガッツ石松さん」にどことなく似ていたので「ガッツ」と名付け、私も調教師としてのあらたな道を歩み始めることになった。

 周防猿まわしの会の調教用語で芸の仕上げ段階において「根切り」という言葉が使われる。初代会長村崎義正が趣味の盆栽を手入れする際に使われる言葉を猿まわしの調教に引用してきたらしいが、この「根切り」ができていないのがまさしく私自身であったのだが、40歳を目前にしてようやく村崎五郎の「根切り」がガッツの力を借りて行われたのだ。