第六十二話 オーディション落選の五郎台本を書く

 周防猿まわしの会結成二十五周年記念の公演は出演三組がオーディションで決まった。勘平・Dコンビ、勇次・常次コンビ、そして「とまと・Mさんコンビ」。あれチョロ松の名前が無い。不甲斐ない私のせいで落選となった。周防猿まわしのトップを走っていたチョロ松が記念公演に選ばれなかったことは、悔しさもあるけれど悪いことではないと誰かが慰めてくれたが逆に無念さが倍増した。その私にまわってきた役割は台本と演出を行うこと。それも、90分という長い公演に挑戦することになっていたので、お客様に厭きさせず楽しんでいただくことは難しい。重圧のかかる大役だった。

 芸術祭出演の時もそうだったが、私を支える演出グループを結成して、様々な角度からアドバイス・協力を下さった。演出補として古川顧問、田口アドバイザー、そして椿組の外波山文明さん(以後、外波山さん)が名を連ねて下さった。それに餅つき「めでた屋」の藤井師匠はさらに目の届かぬところを勝手連でサポートして下さった。心強い応援団である。
 ところが、田口アドバイザーからは公演が決まった時点で釘を刺された。「二十五周年にふさわしい、周防猿まわしの会にしか出来ない猿まわしの舞台、これぞ猿まわしだという舞台、まさしくタイトルは『THE 猿まわし』…これしかない」と私に見せるいつものドヤ顔で勝手にタイトルを決められ、さらなるプレッシャーを与えられた。
 古川顧問からは「日頃、年中無休で阿蘇と河口湖に劇場を構えている中では、新たな芸への挑戦を実験的に試すことができないので、この舞台こそ新しい見せ方を目指すことができる。これから10年、20年、長く定番として使える芸の見せ方を発見しようではないか。」と提案された。 外波山さんには演出に始まり、音響、照明、美術、舞台全体に関わることを椿組あげて協力いただいた。気になるところは調教師とマンツーマンでとことん演技指導を行ってくださり、その執念に、出演コンビも舞台作りの厳しさを嫌というほど味わった。舞台作りについて素人同然の私には本当に心強かった。

 台本作りの要は三組のキャラクターを活かした組み合わせを行い、起承転結を基本に据え緩急をつけていく。ピエロ役をやらせれば周防猿まわしの会でもピカイチの勇次・常次コンビを抜擢することにより構想がスムーズに進んだ。第一部オープニングは現代風ヒップホップ系と1960年代流行したヒッピー系を融合した内容に書き上げた。二部は入学シーズンでもあったので、ピカピカの一年生バージョン、当然ここもボケ役は勇次・常次コンビが熱演した。三部は、オーディションの内容を取り入れ、出演コンビ三組のそれぞれの持ち味を生かした名作劇場を並べた。この公演では、勇次・常次コンビの人気作品となった忍者のパロディコント「忍者ハッタリ君」を初めて上演した。勘平・Dコンビは「ヒーロー戦隊サルヤマン」を上演した。「サルヤマン」はもともとアニメ「鉄腕アトム」が生誕何十周年と話題になっていたので、私からDさんに何か子どもたちに向けてオリジナルヒーローものを作ってみないかと提案したところ、それではとDさんが新作を書き下ろしたことから生まれた。その後、長きにわたり劇場の人気作品になり、今や後輩達が各々の個性を生かしたオリジナルサルヤマンが展開されるまでになっている。 三部と四部の間をつなぐのにお猿さんが舞台上に存在しない時間がどうしても出てしまう。これを解決するために古川顧問から「着替えをお客様の前で見せればいいんじゃないの」というアドバイスをいただき、今までにない斬新な演出を入れてみた。それを私たちはモデルチェンジと名付けている。
 そして四部・エンディングは周防猿まわしの会の真骨頂でもある『猿まわし十八番芸』で締めくくる。
 20ページ以上に及ぶ記念公演の台本を皆様の協力で書き終えた。稽古を進める中、台本を数カ所修正した。とくに二部も三部もコント的要素が多いため目先を変えたいという意見から急遽新人コンビを抜擢することになった。デビューしたばかりの三才の小猿、くり松と調教師、かき松コンビで、時の華真っ盛りで、喝采を浴びた。

 公演当日、劇場のロビーには多くの方からお祝いの花を贈っていただいた。公演場所は外波山さんの紹介で演劇の聖地である下北沢にある下北沢駅前劇場を使わせていただくことができた。収容人数200名弱の劇場だが、芸術祭で使用した曳舟文化ホールとよく似て猿まわしの公演にはうってつけの見せやすくて広さも手頃な劇場である。公演は2002年4月14日、15日の二日間行われ、公演時間は19時開演の90分公演、満席のお客様にご来場いただいた。
 そんな中一際目立つ白い花が届けられた。本来、このような花は出演者の名前か周防猿まわし会宛に届くものらしいが何故か出演者ではない『村崎五郎様』宛で届いていた。送り主は新宿二丁目でも当時一位二位を争うほど有名なバーのオーナーママからだった。友人に連れられて何度か行っていたお店ではあったが正直私はちょっと苦手としていた。しかし友人のいたずら心もありオーナーに「五郎さん、下北沢で公演やるんだよ」と情報を流し、義理堅く公演当日花を贈ってきて下さった。それだけでなく公演もお店のタレントさんを十数人引き連れて来場していただき会場全体に明るさが広がった。そういえば、かつて函館公演の際にも函館を代表するスナックのママが公演チケットを数百枚裁いてくださり、連日弁当を届けて下さったことを思い出しました。

 今回の公演は客席側から見させてもらい、芸猿、芸人ともにそれぞれの持ち味を十分に発揮してくれたおかげでお客様も本当に喜んでくださり評価は上々であった。舞台作りでは力不足は否めなかったが、人間の舞台で百戦錬磨の外波山さんから基本から学ばせていただく絶好の機会となった。時にはある芸人から「今までの稽古の中でこんな外波山先生の鬼のような表情をみたことがない」という声がでるぐらいの熱血的な演出指導、外波山さんの培った経験を惜しみなく注いでくださった。主催する周防猿まわし会側がこういう形での公演の経験が少ないことや、舞台にかかわる人たちとの付き合い方を知らなさすぎて、今回の公演に携わるスタッフの方へのフォローがまったく出来ておらず全面的に公演をバックアップして下さった椿組、並びに外波山さんに恥をかかせることもあった。公演というのは舞台だけでなく搬入から搬出、解散までと知る。猿まわしとしての本物の芸能集団になるためには勉強することは山ほどある。『THE猿まわし』への道のりへは果てしなく遠い。