第五十八話 受け継がれる帝王学

 二代目チョロ松ジュニアは14歳を迎え、引退の目安としている15歳が近づいてきた。ニホンザルの寿命は厳しい自然界では20年前後、飼育環境が整い、食料に困ることのない我々の施設では30年前後が普通である。猿まわしの芸猿として15歳まで頑張り、その後は若い猿達に託して年金生活に入る。そろそろ次の後継者をと考え始めた時に、一頭の現役の芸猿が後継者として浮上してきた。6年コンビを組んでいた相方が調教師を辞めたことによって、その芸猿も若くして相方を失い取り残されることとなった。まだ7歳と若く、体格にも恵まれた猿だ。気性の激しくなる反抗期が始まっているので誰でも相方になれるわけでない。しかし、引退するには勿体無いと思い「私が相方になろう」と手を挙げた。ジュニアや他のお猿さんに何かあった時のことも考えて私が引き継ぐことになった。

 そのお猿さんを預かって一年、チョロ松の名に恥じない芸猿に育ってきたので正式に三代目チョロ松としてデビューさせてもらうことになった。
 平成13年11月1日、チョロ松ジュニアは引退し、三代目チョロ松にバトンが渡った。元気な内に引退生活でゆっくりしてほしいそれが私の信条である。 ジュニアとコンビを組んだ約10年間というものは本当に濃い年月であった。二度にわたってのアメリカ公演、芸術祭参加、北海道巡業、ふるさと凱旋公演、河口湖猿まわし劇場オープンと様々な公演や舞台を経験させてもらった。最も大きな収穫はジュニアが教えてくれたことがきっかけとなり調教師としてのスタートラインにつけたことだ。調教は相方である芸猿との会話である。

 振り返ると、初代チョロ松と始まった調教師としての人生は、調教経験の無い私と、立派な芸猿に成長していたが、調教師に向かってくる悪い癖を持つチョロ松と協力して舞台を行わなければならないという私には荷の重い課題があった。いつ何時、激しい挑戦を挑んでくるかわからない緊張感にけじめをつける覚悟が求められた。二代目ジュニアも同じ姿勢で臨んでしまい、相変わらず自分の考え方を一方的に押しつけた。それが間違いだということを気付かせてくれたのがジュニアであった。こちらが強く向かえば相方も強い姿勢で構える。憎しみは連鎖するが信頼の姿勢は新しい信頼を育てる。義正親父の遺言に「自分は人を憎んで失敗した。お前たちは同じ道を歩むな。人を疑う前に自分を疑え。」と残してくれた。重岡フジ子先生からも「五郎君、ジュニアの話を聞いてあげなさい。」と教えられた。調教師の役割はお猿さんに芸を教えることだと思っていたが、お猿さんから学ぶことの大切さを教えてもらった。ジュニアに話しかけると嬉しそうに口をパクパクさせて話しかけてくる。これが大切なのだ。

 ジュニアは芸猿として逆境やピンチの時に強かった。
スキー場のイベントに出演した時、雪で作ったステージはツルツル滑り、人間の私ですらまともに立つことの出来ないステージでそれでもお客様に喜んでいただける最低限の演目をなんなくこなしてくれた。ぐらぐらと動く安定していないステージの時もあったが、もう見るからに不可能だと思うステージに限っていつも以上の力を発揮してくれて私を助けてくれた。ここぞという時に頼りになる相棒(サル)であった。サル社会なら満票で『ボス猿』である。
 付き合いはじめた頃は幼いから当然であるがちょっと頼りなさもありとても後の片鱗すら感じなかった。
 東京都立川に事務所を置いていた時代はジュニアも含めて芸猿は2、3頭しかいなかったので大した争いもなかったが、河口湖猿まわし劇場に拠点を移すと芸猿数が一気に増え必然的にボス争いというものが生じてきた。ジュニアはいつの日か「俺がボスだ」と言わんばかりに猿舎を守る存在になっていた。猿舎のまわりにはお猿さんたちの天敵がいる。例えば蛇が現れたりすると若いお猿さんたちは怯えて出てこないが、ジュニアはそんな時こそ隠れるのではなく芸猿たちに警戒音を発し常に前に出てみんなを守ろうとした。
 ジュニアが阿蘇猿まわし劇場の猿山から選ばれたお猿さんであることを以前にも紹介しているが、その猿山に『ひでお』という名前の双子の兄弟がいた。『ひでお』は芸猿として舞台に上がることはなかったが、ジュニアとは対照的に猿山の万年ナンバー3としていつも『宇宙人』というボス猿の後ろに隠れていたずらをしていた。「猿山の嫌われもの」的存在であったひでおが、晩年、念願のボス猿になり阿蘇猿まわし劇場の猿山を守ってくれた。西は弟が、東は兄がボス猿として君臨したのだ。

 ジュニアというお猿さんを象徴するエピソードがある。舞台の出番のため三代目チョロ松を猿舎に迎えに行くと、隣の部屋にいる引退したジュニアが「俺の出番だろ。俺が出るよ!」と言わんばかりに自己主張する。私は「ジュニア、お前はもう引退したのだから頑張らなくていいんだよ」と言うと、出てきた三代目の首根っこを掴み「お前の出番はまだ早いんだよ」と怒っていた。何年も そんなことが続いていたが舞台が好きだったのか、もしかしたら一生現役を貫 く気持ちがあったのかもしれない。
 平成26年4月27日、ジュニアが亡くなった。享年27歳。
 翌日には不思議なもので新しいボス猿が台頭していた。三代目チョロ松である。体格がずば抜けて恵まれていることもあるが、ボス猿としての風格も出てきてボス猿としてのオーラもある。それを考えるとサル社会においてもボス 猿になるための帝王学というものが受け継がれているのかもしれない。