第五十四話 架け橋

 早稲田大学講堂でのボス猿対決は勘平に負けたが早くもリベンジの機会が巡ってきた。なんと第2ラウンドはアメリカロサンゼルスで決することとなった。

 毎年ロサンゼルスで行われているジャパンEXPO、つまり日米交流の記念イベントが20 周年の節目を迎え1999年11月開催されることとなり日本を代表する伝統芸能として周 防猿まわし会への出演依頼が舞いこんできた。周防猿まわしの会からは、勘平・Dコン ビ、チョロ松・五郎コンビが出演することになったため必然と「ボス猿対決第二ラウンド in ロサンゼルス」となったわけである。この時日本から着物ショー、忍者ショー、和太鼓と いった方達が招待された。今回依頼された方は、以前にも紹介したがめでたやの藤井信氏 とも親交がある方であったので藤井さんから打診をいただいた。藤井氏も餅つきパフォー マンスで出演したが、猿まわしの進行役と鳴り物で共演してもらうことになった。
 ロサンゼルスへ渡航するには様々な制約があり、クリアーしなければならないことがた くさんある。最初のアメリカ公演同様心配の種は尽きなかったが唯一救いだったのは藤井さんにとってロサンゼルスは第二の故郷のようなものでもありそのロサンゼルスには母親とも言えるキャサリン井上(みんなはキャッシーと呼んで肝っ玉母さんのような存在)の方がいた。キャッシーは当時85歳であったが、旦那さんはGeorgeさん、すでに他界されていたが三人の娘さん夫婦と沢山の孫たちに囲まれて生活していた。
 生まれ育ったのはアメリカコロラド州だが、両親は福岡県八女市出身であり遠く離れたアメリカでも日本を愛していた。太平洋戦争では日米の間で苦労された。収容所経験や財産没収、差別的な扱い苦難の時代を耐え抜きロサンゼルスの名物母さんとして国籍を問わず頼りにされた方だ。ペットは秋田犬で名前はそのままで『AKITINU』である。キャシーは現役バリバリで運転もこなしている。
 滞在中のチョロ松や勘平の生活等がもっとも不安視されたが、そのキャッシーの自宅に勘平やチョロ松と私たちを迎えてくださりロサンゼルスの拠点として安心して滞在することができた。一階の寝室には大きなベッドがあり、その側に勘平とチョロ松が滞在する檻を置いた。窓からはプール付きの庭がよく見える。そのプールでチョロ松も私と遊ばせてもらったが日本では体験できない経験にチョロ松も喜んでくれた。キャッシーの口癖は「No 心配ね」。ロサンゼルス滞在中も二週間で何百回聞いたかな。そう言えばキャッシーはトムクルーズ主演の『ラストサムライ』のエキストラで出演していることを自慢していた。

 そしていよいよボス猿対決第二ラウンドがジャパンEXPO20の最終公演で幕が開いた。 会場であるコンベンションセンターの客席は満席で立ち見もでた。オープニングはチョロ 松の猿まわし十八番芸八艘飛びから始まったが調整も良くチョロ松の動きも素晴らしかっ た。後半は、勘平・Dコンビのアメリカヴァージョンのタイガーウッズ、マイケル・ジ ョーダンといった一発ギャグでさらに観客のハートを掴み、勘平の猿まわし十八番芸竹馬 高のりも一発で決め公演は大盛況であった。ボス猿対決第二ラウンドの結果は、ジャッジ は英語が堪能な藤井氏が進行を務めたのだが、ジャッジの際の空気が何か違うなと私は感 じた。英語がほとんど分からない私でもこれはおかしいなと感じた。元々の審査基準も勘平とチョロ松のどちらの芸が良かったか?を決めてもらうことになっていたはずが動物芸 に優劣をつけるのはアメリカ人が嫌がるという理由でどちらが可愛かったか?という審査基準に変更されていて、藤井氏は何度も「KANPEI!‥KANPEI」とあきらかに勘平・Dコンビの方に拍手を多くするようにお客さんに誘導していた。結果はおのずと勘平・Dコンビに軍配があがった。その結果、チョロ松と私はいさぎよく負けを認め罰ゲームとして私が頭を丸めて帰国することになった。完璧に藤井氏やスタッフに私ははめられてしまった。(笑)

 このボス猿対決の真の敗者は周防猿まわし会かもしれない。このジャパンEXPOに招待して下さった方が我々との契約を守ってくださらなかった。行き帰りの手続きでは手違いが起こり特にロサンゼルスに行きはしたが帰る時期が決まらないという一幕もあった。そして約束したギャランティーを未だに支払ってもらっていない。様々手をつくしたが相手の方が一枚上であった。騙すより騙される方がましとはいうが騙された我々の甘い体質は改善してしっかりしなくてはと強く感じた。

 こうしてアメリカロサンゼルス公演は幕を閉じたが、キャッシーには本当にお世話になった。チョロ松との稽古や調整で苦労してナーバスになっている私に「Goro!No 心配ね」といつも声をかけてくれたことにどれだけ救われたか。