第五十二話 この人がいたから、今がある

 1997年12月5日、昭和時代最後の女性猿まわし調教師である重岡フジ子先生が引退した。 猿まわし復活二十周年の節目である12月2日を記念して山口県内五ヶ所でふるさと凱旋公演を行いこれを引退公演とした。

 露払いにチョロ松・五郎コンビが座長を務めさせていただき、音響、照明、舞台セット等は外波山さん率いる椿組にお願いし、公演中の舞台監督を椿組の関係者の吉木氏に依頼し快く引き受けていただいた。

 一番の心配事はチケットをどう売るかということであったが、熊本県と山梨県に劇場を構える中で、山口県光市の本社を守ってくれている節子会長や職員の石井さん達、そして山口県出身者の多い周防猿まわしの会関係者が、あらゆる縁をたどってチケット売りに奔走してくれた。山口県各地にいる周防猿まわしの会のファンや応援団、知人友人達が動いてくれたことで五ヶ所すべての公演を満員御礼で迎えることができた。ふるさとの皆さんの応援で実現したふるさと凱旋公演になった。

 初日の公演先に選んだのは岩国市である。岩国市は山口県の東端に位置し広島県に近い工業地帯で米軍基地もあるのが特徴で、私の中では正直を言うと一番縁の薄い地域だった。 会場はシンフォニア岩国で猿まわしを見ていただくのに最適の会場だった。日本体育大学在学中に山田良樹教授より紹介された同郷の釘屋氏に連絡をとり動いていただくことになった。釘屋氏は山口県岩国市で老舗の料亭を継承していていることもあり岩国市での交友関係も幅広く公演成功のキーマンと考えていた。大学を卒業してから疎遠になっていた私からの久々の連絡にも歓迎してくれ、料亭を訪問した際には家族も紹介してくださり、チケット販売や宣伝にたくさんの応援をくださった。

 周防猿まわしの会本拠地である光市公演は光市民ホール大ホールで行なったが、復活当初から応援いただいている地元紙『瀬戸内タイムス』はもとより周防猿まわしの会の地盤でもあるため地元の仲間の宣伝もあり1000人のホールもすぐにいっぱいなった。この光公演ではサプライズな来場者があった。私が中学二年生の時の担任の先生が見に来てくださったのだ。当時の私はもっとも血気盛んな時で、誰かれかまわず先生という先生に反抗し続け卒業する最後まで先生に対して心を閉ざしていた。本当に迷惑をかけっぱなしで、いつか、誤りたいと思っていただけに思いがけない再会が嬉しかった。その先生が家族で見に来てくださり大変喜んで下さった。それに加え、今も生徒達に「私が教え子である」と自慢して下さっていることがありがたく本当に救われた瞬間だった。

 徳山市公演は周南市文化会館で行われ、河口湖猿まわし劇場の建設に携わってくださった岸本先生の奥様の友人が中心になり公演成功のため尽力してくださった。この時に実は私の芸名について疑問が投げられた。「五郎という名前は名前の通り五番目という印象が強いため良くないのではないだろうか?」という意見をいただきその後数ヶ月間本当に悩んだ。 会社からも「であれば、周防猿まわしの会の周をとって周五郎だとか大五郎という名前はどうかな」といろいろ候補は出た。名前を変えることには真剣に悩んだが親父にもらった名前を変えるのにはどうしても抵抗があり、結局変更しないことにした。参考になるアドバイスをいただいたと思うが20年たった今考えると五郎のままでよかったと思っている。

 山口市公演が行われたニューメディアプラザ山口では小学生時代からの友人が山口県庁に就職していることで力を借りた。山口市公演ではまたまた驚くようなエピソードがある。 午前中と午後の二回の公演を行い、午前中の公演には山口市の老人ホーム等の施設の方達を招待したのですが、公演終了後、公演を見に行ったという方から私に電話がはいった。その電話の内容は80歳ぐらいのおばあちゃんだったと思うが、自分の遺産8000万円をチョロ松に寄付したいと言われた。お話を聞くとおばあちゃんにはお子さんが二人いらっしゃるみたいで、ではそのお子さんに残してくださいと伝えるとどうしてもチョロ松に受けとってほしいとの一点張りで、辞退したいとの意向を聞き届けていただけなかったが、スタッフより説得してもらいおばあちゃんにも納得していただいた。

 最後の下関市公演はシーモール下関というショッピングセンターで行われた。周防猿まわしの会復活当初からショッピングセンターのイベントとしてもたびたび呼んでいただいていて根強い猿まわしのファンも多い地域である。ただホールがないため特設催事場に前日よりまさしく手作りのステージを作った。子供からおじいいちゃんおばあちゃんまで様々な層のファン層に集まってもらい盛大な締めくくりの公演が行えた。

 初日の岩国公演の時に私は楽屋のモニターで大吉・フジ子コンビの舞台を見て釘付けにになっていた。気迫のこもった演技に客席は引き込まれ時を忘れたかのようだった。引退するには本当にもったいない。まだまだ学ばねばならないことがたくさんある。「ねんねん子守」「どじょうすくい」「月形半平太」と怒涛のごとくこれでもかと言わんばかりにたたみかけていく大吉・フジ子コンビの古典芸に圧倒された。通常、古典芸の演目を続けると間延びしてしまうものだが長年大道で培われてきた経験と技術は圧巻の一言で、太鼓の使い方のバリエーション、台詞の発し方から芸猿大吉との呼吸、重岡フジ子の一挙手一投足、見るものすべてが凄すぎた。初日の舞台は大吉・フジ子コンビの芸に圧倒され、その直後に舞台に出るのが怖かったのを憶えている。舞台監督の吉木氏よりこんなアドバイスをもらった。「五郎さんがいつか月形半平太などの古典芸にチャレンジすれば芸人としてさらに飛躍出来るんじゃないかなと思いましたよ。」その言葉通リ今私は古典芸に挑戦させてもらっている。重岡フジ子先生の引退公演にご一緒させていただき、一部始終を目撃した者としてその姿を継承伝えていかなければならない。

 引退後も本社にいるお猿さんたちの世話や小劇場の手入れ、本社の墓に眠っている歴代の芸猿たちの供養を欠かさなかった。「足を向けて眠れんけーね」と小劇場の庭に咲く草花を墓に供えて手を合わせる姿が日常となった。