第五話 迷いと甘え

 桶川市の営業が終わって直ぐに、大学二年生の授業がスタートした。親父との約束事がいくつか決められていて「学校が始まったら、まずは学校優先。」ということになっていたが、その当時チョロ松に仕事(出演依頼)が入っているのはまれで、月に2~3本、シーズンで7~8本ぐらいだったのではないかと思う。だから、まずはきっちり学校に行くことができた。通学は片道、約2時間かかっていたため、朝は6時前に起きてチョロ松の散歩だけはやる。立川の河川敷で、約1.5Km~2Kmのコースを30~40分で歩く。お猿さんの小屋の掃除もやらなければいけなかったが、月曜日から土曜日は、同じ調教師仲間のJ君が居てくれたので、掃除は免除してもらい練習だけをして通学することができた。夕方は16時10分に授業が終わるとすぐに帰宅、18時頃から基本的な芸のチェックのため練習を繰り返していた。営業のない土、日、祝日は代々木公園の歩行者天国での自主公演(大道で芸を見せてご祝儀をいただく)にでかける。土曜日は授業がありJ君がチョロ松をキャラバンにのせて代々木公園につれてくる。私は授業が終わると合流して夕方まで10~15回前後、1回10分前後の公演をしていた。日曜日は歩行者天国の場所取りが厳しいので9時前には弁当を買って場所を確保し、12時の開始とともに18時頃まで自主公演を行った。仕事が入っていた日もあったが不思議とデビュー直後の桶川イベント以外あまり記憶にない。学校とチョロ松の両立に必死だったのかもしれない。なんて、かっこうをつけているが、入門して約1年の間、私は2回程、親父を悩ませている。末っ子の甘えとも言われていたが…。

 チョロ松との時間は限られていたが何とか芸を維持しようというだけでなあく、向上心もあったのだが、まだまだ調教師としてはかけ出しの私では何もわからず、どうしても芸を高めようと思えばチョロ松との責めぎあいも強くなり私の気持ちを一方的に押し付けてしまう、そして押し付ければ押し付けるほどチョロ松も抵抗し野生の凄さで向かってくる。調教の難しさ厳しさに直面すると必ず逃げたくなる気持ちを強く感じる時があった。覚悟のなさからか、甘えからか、それは必ず高校野球が始まるシーズンと重なっていた。高校野球のシーズンが始まると、何処か自分の気持ちは調教などに向かず、衝突の理由を作り逃げようとしていたのではなかと思う。

  1回目は7月の中旬頃、夏の高校野球東京大会の予選が始まっていた。何も考えず調教もしないで予選を1日中観に行っていた。2回目、年があけて3月下旬、春の選抜高校野球が開幕していた。その日は月に1度か2度ある多摩川河川敷での調教会の日、まったく調教に身が入らず、調教の指導を謙虚に受け入れられず突然の兄のTさんとの衝突、その場から飛び出した。経過は覚えていないが、気付いたら甲子園球場に来ていた。試合観戦に夢中になり2日ぐらいまったく連絡をとらなかったが、日に日に大変な事を起こしたという実感がわいてきて恐る恐る親父に電話を入れた。親父は私の考えていることぐらいはお見通しだったみたいで、「お前、甲子園に行っちょるんか、気がすんだら東京に帰れ。」さすが親父、完服であった。