第四十九話 外波山文明が乗り込んできた

 河口湖猿まわし劇場のオープン(4/28)がゴールデンウイークに間に合ったことで、さすが関東を代表する観光地だけあり地元の施設、旅館、ホテルの応援で来場者は順調に数字を伸ばしていた。

 山梨県の地元テレビ局から毎週土曜日夕方のレギュラー出演の依頼がきた。コメンテーターとしての出演と一週間の時事ネタをコントにして欲しいという依頼の内容であった。コント仕立てのネタをお猿さんとやるという分野は私が非常に苦手としていた。それならば、Dさんがうってつけではないかということで勘平・Dコンビが出演することで決まった。私とDさんとは幼少期からの長い付き合いがあり互いのことはよく分かり合った仲である。Dさんは人前で歌を歌うこと、中学校時代は自らが生徒会長に立候補したし、高校時代は野球部に所属しながらもバンドに加わるなど人前に立つことが得意でたぐい稀な器用さを持っていた。なるべくして猿まわしの芸人になったような人である。
 それにしても毎週週末になるとネタを作らなければいけなかった。時には深夜までネタ作りを行い河口湖猿まわし劇場の広告塔として孤軍奮闘してくれたことが地元となった山梨県における河口湖猿まわし劇場の知名度を広めオープン後の勢いにつながった。

 阿蘇の劇場に加え、新しく誕生した河口湖の劇場が我々の舞台となったが、違和感というか舞台の難しさを感じ、2つの劇場を活かすのに戸惑いを感じた。
 阿蘇の舞台は芸人と客席との距離が近いせいもあってか、私が経験してきた大道により近い気がしてお客様との距離感もあまり感じることがなかった。庶民的な劇場である。河口湖の作りは客席が舞台から離れている上、お客様は上品なお客様が多く「さあ観ましょうか」と本当に舞台を観賞しにきている客層が多いと感じた。 阿蘇では実現できなかった舞台装置(音響、照明、ステージを豊かに見せていくための吊りもの等)を充実させたが、素人同然の自分たちには宝の持ち腐れであった。阿蘇と同じように進んで舞台と一緒になって楽しむお客様もいらっしゃるので一言では決めつけられないが阿蘇と河口湖では地域性や舞台の見方というものが違い河口湖の舞台を使いこなせなくて苦労した。

 そんな様子に、古川顧問から提案を受けた。「劇場を構えたからには大道の芸を活かして舞台芸に育てていかなければいけない。とかく、舞台内容が芸人任せになっているので舞台のための台本を作り演出し芸を育てて行ってはどうか。」
 それまでの舞台は先輩達が築き上げてきたネタや台本を後輩がマネするところから始まりやがてそれぞれの持ち味がでてくる。しながら各調教師がやりたいことをおりまぜて行うだけの舞台は調教師任せの流れになり閉鎖的である。調教師によっては勘違いを産む元となっていた。個人レベルでも舞台芸能としても発展性をこばむことになる。だからこそ、台本が必要だし演出が欠かせない。そして、人間の芸でなくお猿さんを見せる芸であるので台本の軸に調教論が座ることが演出の核心であり重要視されなければならない。

 東西2つの劇場を使いこなす難しさを超えた先にこれまでとは違った猿まわしの舞台を獲得できるチャンスがある。
 「外部のアドバイザーを招聘したらどうか。」古川顧問にはその適任者のあてがあった。誕生したばかりの河口湖猿まわし劇場に外波山文明(とばやまぶんめい)さんを連れて来られた。外波山さんは劇団「椿組」を主宰されながら俳優、声優、演出家と多岐にわたり活躍されている。椿組としても毎年7月中旬、新宿花園神社で野外劇を行っており、ファンが毎年の開催を心待ちにされている。外波山文明・ひとり芝居「四畳半襖の下張り」は公演回数100回を越えた。そんな多忙な方であるが、新宿・歌舞伎町のゴールデン街の入口でバー「クラクラ」を経営する。このお店には場所柄と外波山さんの人柄もあり、芝居屋、映画屋、マスコミ、学生、サラリーマンと多種多様な人たちが連日訪れ酒を飲み交わす場所となっている。
 こうして、外波山さんには数ヶ月に一度河口湖や阿蘇に泊まりこみで来ていただき舞台の充実のためのご指導を引き受けていただくことになった。お客様を飽きさせないために四季折々の舞台セットを作り、客席の空間の工夫も手掛けていただいた。そして肝心の台本や演出を活かすための立ち居振る舞い、台詞の指導をいただいたのだが、調教師のガードが固かった。長いこと、それぞれのやり方が許されてきて、その縄張りに外波山さんが入り込みアドバイスすることは至難の業、ご苦労をおかけした。指導の難しさを外波山さんは強く感じておられたと思うが、諦めることなくお付き合いいただくことになった。外波山さんは指導の中で舞台の「駄目だし」をする際、「駄目なものはないから」と言われたことが強く印象に残っていて、当時の稽古では本当に自信をもってのぞむことができるように配慮してくださり、百戦錬磨の演出家の懐の広さに、心を開く調教師が増えていった。