第四十八話  豪雪に翻弄された5日間

 2014年2月14日、関東地方、東北地方を大雪が襲い各地に甚大な被害をもたらした。
一週間前の2月8日には40年ぶりの大雪が降ったばかりだったが、河口湖ではさらに観測記録を更新する150cm、累積降雪高は2mを超えた。

 私は当日、都内に出張していた。その日は朝から河口湖方面で降雪との情報だったが、都内の降雪の状況もみていて積もる感じはなく目立った交通機関の乱れもなかったので午後過ぎになってもまだ大丈夫だろうとタガをくくっていた。それでも少し早めに帰路につくことにして15時過ぎに仕事を切り上げ首都高にのった。すると新宿あたりから環境が一変していく。高井戸を過ぎ、調布に近づくと渋滞が激しくなり中央道八王子に向かうが車が進まない。そして、中央道八王子を目前に大月から先が通行止めとの情報が流れてきた。車で河口湖に戻ることは不可能と判断しすぐさま中央線、富士急行線に移動手段を切り替えるため車を東京事務所におき立川駅からグッドタイミングで特急かいじにのった。一安心も束の間、通常35分ほどの山梨県大月駅までなかなか進まない。今回はいつもと違うなとは思ったが何とか無事大月駅にたどり着き足早に富士急行線に向かうと改札が騒然としている。つい先ほど、この先の踏切にトラックが立ち往生したため電車が発車出来ないとのアナウンス。しかしまだこの時点では、「河口湖まで目と鼻の先の大月まで来ているのだから大丈夫だろう」と安心し駅前の居酒屋で富士急行線の復旧を待った。その時はまだ20時前であった。一時間、二時間と時間ばかりが経過していくが22時を過ぎても富士急行線の復旧のメドはたたず、状況の悪化に不安を感じ、ひとまず寝床を確保しなければと大月駅周辺にある旅館に電話するが当然満室である。甲府方面行きの電車はかろうじて動いており、とりあえず、石和温泉方面に向かえば宿泊施設もたくさんあるので寝床は確保できるという思いで23時過ぎの甲府方面行きの各駅停車の電車に乗った。大月駅を出発し次の初狩駅に停車した。その初狩駅から動く気配がなくなってきた。停車してしばらくして相模湖周辺の電線故障の復旧作業を進めているとのアナウンスが流れる。数十分おきに復旧作業の現状をアナウンスする車掌の申し訳なさそうで悲壮感漂う声が事態の悪化を物語っていた。数時間後には勢いを増した降雪が電車の車体を埋めていく。深夜1時過ぎだったろうか、パンタグラフという部品の異常で車内の暖房が効かなくなってしまい約3時間以上極寒の車内で過ごすことになった。早朝に復旧した時は本当に天国であった。

 数時間寝ただろうか、朝を迎えたころには初狩駅の駅員の方達がホームを雪かきしてくれたので車外に出られるようになっていた。初狩駅を出て300mほど歩くとコンビニのローソンがあると教えていただき最低限のライフラインはつながり安心した。ローソンまで向かう道も人が歩ける程度の雪かきを初狩の地元の方達がおこなってくださっていた。ただ初狩駅の電車内には150人を越える人がとり残されていて、皆が一斉にローソンに集中したので商品棚はあっという間に空っぽになった。15日の午後、初狩の地元の方の好意でおにぎりとお味噌汁が支給された。先も見えない不安のなかで地元の方の炊き出しは本当に有難かったし勇気ももらった。電車での生活が二日、三日、四日と経つがいっこうに交通機関の復旧が進まない。

 2月17日(月)、電車泊四泊目を覚悟していたが中央線上りが今日中に中央線高尾駅まで復旧し移動出来ると車掌からアナウンスがあった。実はひとりの芸人が休暇を終えて故郷から河口湖に戻る際の八王子で立ち往生していた。とにかく中央線上りが動き東京まで戻って彼と合流すればお互いが安心できると考えた。22時過ぎ高尾駅に向け中央線上りは出発した。23時過ぎに高尾駅で合流した時にちょうど中央道も八王子から通行止めが解除された。ただ、高速道路の出口の復旧作業が進んでいないため山梨県の一宮御坂インターまで車を走らせた。そこから御坂峠を越えれば河口湖まで30分で着く。ところが、甲府、石和温泉から河口湖をつなぐ御坂峠の復旧作業も進んでおらず通行止めだった。2月18日は午前2時をすでに過ぎているので宿をさがし、まずは疲れをとって朝考えるとことにし、久しぶりに足をのばして寝床につくことができた。翌朝、テレビのテロップに11時御坂峠開通予定と流れた時には本当に嬉しかった。2月18日(火)午後過ぎ無事河口湖にたどり着くことができた。河口湖を出てちょうど一週間であった。
 私が劇場を留守している間、残った芸人達が劇場を守ってくれ、寝る間も惜しんで復旧作業に努めてくれた。おかげで年中無休をうたっている河口湖猿まわし劇場はいつでもお客様を迎える体制ができていた。しかし、劇場までのアクセスが復旧せず数日間来場者0というオープン以来一度もなかった記録を塗り替えた。あらためて今回の大雪がもたらした被害の大きさを物語っていた。劇場に戻りチョロ松達お猿さんの様子をみると何事もなかったかのような表情をしていた。逆に猿舎のまわりが雪で覆われ、天気も良いためチョロ松たちの部屋はいつも以上に暖かくポカポカ陽気で幸せそうだった。

 今まで幾度となく全国各地が天災に見舞われたが、ある意味他人事のように思っていたかもしれない。しかし、自ら電車生活を余儀なくされて二度と経験したくないぐらい肉体的にも精神的にもきつかった。追い込まれた際の初狩地区の皆さんの暖かさには本当に癒されたし、JRの車掌さん他職員の皆さんの復旧に向けての必死さを目のあたりにしてふつふつと感謝の気持ちがわいてきた。今回、大雪による被害は農業、製造業、観光、医療、教育、物流等生活の隅々まで及んだ。孤立集落が取り残されるという重大事態も起こった。想定外の事態に民間、行政も動きが遅れた。


 2014年2月23日(日)、先代の会長村崎義正の二十五回忌を迎えた。妻である村崎節子は今年も長兄にサポートされ京都の西本願寺に参拝し、大谷廟を訪問した。山口県の本社でも供養が行なわれた。この日は昨年世界遺産登録された富士山が語呂合わせで223(フジサン)「フジサンの日」でもある。親父が河口湖と不思議な縁でつないでくれた日だと思う。河口湖に来られる方、そして来場者もこの日を境に回復しはじめ、大雪被害後はじめて10時公演から団体のお客様にご来場いただいた。同じく多大な被害を受けられた地元の宿泊施設からもお客様を送迎車で送客してくださった。この日だけはいつも以上の力で舞台に入った。チョロ松もいい意味で暴れまわった。

 親父が生前猿まわしの発展のために最後に手がけた阿蘇猿まわし劇場は3月26日、オープン26周年、親父の七回忌の年にオープンした河口湖猿まわし劇場は4月28日、18周年を迎える。2014年2月23日はさらなる発展のために気が引き締まる日であった。