第四十四話 「陰謀」

 東京事務所から河口湖へ拠点を動かすために事務所探しに動いた。チョロ松達お猿さんもいるため事務所一室というわけもいかない。運よく劇場予定地から車で2分のところに敷地200坪の一軒家を見つけた。もともとイタリア料理のレストランを営んでいた物件だったので部屋数もあり、事務所兼芸人の寮として活用できる。空いている敷地にチョロ松達が快適に生活できるための宿舎も建てても良いということである。早速地元の大工さんに依頼して建築にとりかかった。河口湖町は標高800mを越える地域であるため朝昼夕夜の寒暖の差が厳しい。壁を寒冷地仕様にし断熱材を通常の2倍に増やして河口湖での居心地の良い生活を準備した。また敷地内が砂利であったため、一角のスペースにチョロ松達が快適に稽古が出来るように環境も整えた。

 8月上旬、芸能部長を務める兄のT氏がかねてからの約束に従い舞台出演と若手育成を目的に阿蘇猿まわし劇場入りした。兄はマスコミに注目される言わば我々の看板である。かって、亡き親父との条件闘争に成功して周防猿まわしの会の一員でありながら、自前の事務所も持つ特別な待遇を獲得していた。芸術祭やアメリカ公演を行った際には、会から行事に集中できるように補償をうけていた。それを可能にしたのが阿蘇猿まわし劇場であり、劇場や会の活動を支える調教師、職員、芸猿であった。一連の行事が終わったなら数年間は阿蘇に恩返しをするそれが多大な補償を受けたのは念願の芸術祭参加やアメリカ公演の先頭に立って行うための条件であったはずだが、催促されても約束を守らない。輝く場に立った男が原点の劇場で汗をかいたならさらに信頼も株もあがっったのに、約束を守らないで平気な様子にカッコ悪さだけが目立っていた。

 さかのぼること 数ヶ月前に阿蘇猿まわし劇場で定例の役員会がもたれた際には、その兄から阿蘇入りする約束に反する提案が行われた。それは、『新宿のグローブ座でシェークスピアの作品「ハムレット」を題材に公演を行いたい。』という内容だった。実現すれば阿蘇の舞台に立つことは不可能だ。芸術祭参加公演、アメリカ公演それに伴う様々な行事に莫大な投資をしたばかりであるし、その総括がされた上でのチャレンジなら役員の理解も得られれようが、兄のこの路線の再延長にはまたか、それかという厭戦の空気と慎重論が続出した。結論として二つの条件を満たしたなら、提案を議題に載せるということになった。一つは、役員の前でその行いたいというシェークスピア劇の一場面を演じて評価を受けること。「生きるか死ぬかそれが問題だ。」それを相方と共にどのように演じたいのか見せてもらい、チャレンジする値打ちがあると判断したならという条件。もう一点はそもそも兄と相方の芸のレベルをあげて欲しい。難しい要求でない、単純に、どの芸猿よりも高い竹馬に乗り、どのお猿さんよりも遠くへ飛ぶように調教してくれたなら、シェークスピア劇を演じることは可能かもしれない。兄の答えは、「そんなのは簡単なこと。」と言い放ったのだが、この二条件への回答は、いつどこで、いつまでに見せるからという誠実な返答が一切ないまま放ったらかしにされ、実行されなかった。

 そして、おそらく兄の中で考えられた目的を実行するために、阿蘇入りした。アメリカ公演を実現した暁には阿蘇の劇場に腰を据えて若手と向き合い芸を育てるという約束。古川顧問からはどのお猿さんよりも高い竹馬に乗り、どのお猿さんよりも遠くへ飛ぶお猿さんを見せてほしい。この約束を実現するために阿蘇入りしたはずだが・・・。

  私は、チョロ松とともに北海道ツアー二年目に入っていたが、兄の不穏な動きに違和感を感じた。この当時の私の役割としては芸能部次長として阿蘇猿まわし劇場、東京事務所の調教師の若手を育てることを一手に任されていた。北海道ツアーの最中は、毎日調教メモをホテルにFAXしてもらいチェックをしていくという段取りになっていた。しかし送られてくるはずの調教ノートが届かなかったり遅れるということが続いた。事情を聞くため若手数人に連絡を取り阿蘇の状況を聞いた。すると連日舞台稽古が終わるとボウリング、パチンコといったレジャーを楽しんでいるらしい。決してやってはいけないと思わない。リフレッシュは大切だが、すべての費用を芸能部長からいただいて遊んでいると聞いて愕然とした。なぜ遊ぶのに自分のお金でしないのか。この時期に芸能部長が阿蘇入りした目的を計りかね、阿蘇の雰囲気に私は何か不穏な空気があると感じていた。

 チョロ松と私は四日間の函館公演が終わって道南から道東のツアーへ向かわなければいけなかった。後半の北海道ツアーがあったが、別のコンビとバトンタッチしチョロ松と私は河口湖劇場建設打ち合わせのため一旦河口湖に戻った。河口湖に戻った日の夜、芸能部長を務めていた兄から「河口湖に向かっているので一杯やりながら話をしないか」との電話があり河口湖駅前にある居酒屋に呼び出された。向かうと周防猿まわしの会のアドバイザーである田口さんも同席していた。その時なぜか私はお酒を飲むという雰囲気ではないと感じ控えさせてもらい単刀直入に「何の話があるの」と切り出した。兄は「五郎はチョロ松とSONYウォークマンCM出演後一世を風靡して今の給料に不満はないか。俺は会社に芸人の年俸制を導入することを提案したいと考えている。そのためにもまずは五郎からだと考えているんだけどどうか。」と話を持ちかけられたが、正直私自身今まで何の不自由もなくやっているし、売れたとはいえ調教師としては半人前の私にすれば当時もらっていた報酬に対して会社に対する不満はなかった。逆に阿蘇入りした際の調教師たちに対する芸能部長の行動、ボウリング、パチンコといった遊戯とお金で調教師たちの心を掴もうとしている行為、調教師を目指すようになってたかだか二、三年そこそこの未熟な若手に勘違いをさせて大丈夫なのかという思いが強かったので、さらなる不信感を抱いた。「年俸制?意味がわからないし全く興味がない。」と答えた。予想外だったのか会話は一瞬止まったが兄は引き下がろうとせず年俸制になると私にとって有利なことだらけだとおいしい話を羅列してきたが私にとってとても興味を持てる話ではなかったため話は終了した。そして私は席をたった。

  数日間の河口湖劇場の建設の打ち合わせを終えてすぐさま私はチョロ松とツアー途中の北海道へ移動したが芸能部長から提案されたことで今後、周防猿まわしの会、芸能部がおかしなことにならなければいいけどなという不安を感じていた。今は河口湖に新たな拠点を建設し、日本全国の皆様に、猿まわしを楽しんでいただく場を持つ、そのために全員一丸となるべき時だ。周防猿まわしの会がさらなる飛躍をする。ただし、兄は会の中で中核をなす芸能部を掌握することに必死だった。密かに会の中で反乱を起こす準備が水面下で頻繁に行われた。