第四十二話 斜里郡清里町のブッシュマン

 そして、北海道ツアーは道央、道東へ向かう。

 まったく知らない地でも飛び込んで営業をかけようとしていたが思わぬところからチャンスが舞い込んできた。関東の劇場候補地さがしのパートナーであった大手ゼネコンの部長、石井さんが全国各地に人脈をもっておられ協力をしてくださることとなった。実はこの石井さんも古川顧問の旧友であった。石井さんに雑談の中で北海道ツアーの話をしたところ、石井さんから「道東の斜里郡清里町という町に面白い人がいるので是非とも会って欲しい」と紹介していただくことになった。こんなにも偶然で、おいしい(都合の良い)話が簡単に舞い込んでくると作り話のように思われるが‥事実である。石井さんが現地(北海道)に向かうことになって、北海道釧網本線の原生花園駅で待ち合わせすることになった。今まで日本各地をチョロ松と飛びまわってきたが、原生花園駅には行ったことはないし、聞いたこともない。簡単な口約束で決めた話であり本当に来られるか、合流できるのか不安もあったが約束の数日前にチョロ松と道東地域を数カ所営業にまわりながら約束の原生花園駅を目指した。待ち合わせの時間、ハマナスの花に埋め尽くされた、絵に描いたような原生花園駅の改札口から石井さんがひょっこり現れた。「いゃー 五郎さん!会えましたね。」何とも不思議な方である。

 斜里郡清里町へ向かった。アスパラ栽培を中心に農家を営まれている森本さんという方の紹介をうけた。森本さんの第一印象は分かりやすくいうとパンチパーマの髪型が目に飛び込んできてまるでアフリカのブッシュマンだ。私が「大道芸猿まわしの調教師をやっている五郎です。」と自己紹介すると森本さんはすかさず「百姓の森本です」と返してきた。一瞬にして壁はなくなり初対面なのに意気投合し、農業、猿まわしについて本音で語り合った。飾らない森本さんだがその栽培への高い評価は森本詣でと言われるほど有名シェフから注目されていた。私の思いのたけを伝えると、森本さんから「五郎ちゃん、チョロ松と北海道に笑いを届けてよ。そのためにできる限りの橋渡しをするから」と心強い応援団になってくださった。翌日には地元清里町長に声をかけていただきお祭りに呼んでいただくことになった。その他、小清水町、網走市の幼稚園、佐呂間町、北見市、丸瀬布町、釧路市内のショッピングセンターと北海道ツアーの過半数の仕事を紹介してくださったのだ。森本さんから農業仲間のネットワークに声をかけていただいたことで急速に輪が広がった。留辺蘂町や訓子府町では酪農、農業に従事している青年団が手作りのチラシ・ポスターを制作し、チケットを販売して500〜600名のお客様を集めていただき、まさしく手作りの北海道ツアーを実現してくださった。そして、チョロ松がSONYウォークマンのCMでブレークした頃から北海道のイベントに呼んでいただいていた旭川の広告代理店の方にも旭川市内で数カ所、当麻町、上川町といった幅広い地域にチョロ松・五郎コンビを売り込んで下さった。


 初の北海道公演から約20年が経った今あらためて冷静に考えてみるとアメリカ公演に続いて北海道公演が行えたことは幸運だった。函館公演は函館の有志のお力添えにより三年連続で行うことができたし、座長公演の難しさ、それを乗り越える中で自信を深めることができた。人の輪を大事にすること、広げることは現在も大きなテーマである。その一歩を踏み出すことができた。



 猛暑とゲリラ豪雨が日本列島を襲った2013年のお盆のシーズン真っ只中に残念なニュースが流れてきた。チョロ松物語第三十九話でふれた、某猿軍団が年内(2013年)に解散、閉園するという。

 千年続いてきた日本を代表する大衆芸能猿まわしを残すため、父村崎義正は残り少ない生命力全てを投入して「周防猿まわしの会」を結成した。

 親父は生前、「日本において猿まわしが発展していくためにはもっとライバルが出てきて欲しいし、調教を学びたいというものに門を狭くしてはならない」と言っていた。25年前に阿蘇猿まわし劇場をオープンした時に親父のもとには調教を学びたいと数えきれないほどの志願者がきた。話題の校長先生もその中の一人でもある。調教を理解できるという段階にたどり着くのさえ10年はかかるのに2、3日で教えてもらえないですかとの話を受け、その時親父はその校長先生に「この私の本を何度も何度も読みやる気のある人間でならば調教をかじるぐらいはできるから」とこの業界におけるトラの巻とも言える一冊の本をプレゼントした。その五年後に一世を風靡した某猿軍団が鮮烈なデビューをして驚かせたのだが、お猿さんの高齢化、後継者不足で解散、デビューして20年足らずの閉園、ライバル登場を願って歓迎した親父の願いも届かず残念である。この出来事を我々の糧とし、周防猿まわしの会の「お猿さんが主役である」という基本理念を守り猿まわし芸能を継承してゆきたい。