四十一話 函館公演実行委員会

 北海道ツアー実現に向けて始動する。ただ純粋に全国各地のファンの方に猿まわしを見てもらいたいと考えて提案したわがままな企画が通リいろんな方を巻き込むことになる。元来、猿まわしは自分で望んだ仕事ではなく、父から勧められたもの、周防猿まわしの会内部での自分の立ち位置も微妙だった。村崎五郎にとって猿まわしとは何か、共に苦労してくれるチョロ松や仲間たちとの関わりに感謝することを含めて、前向きに捉えるためにこの北海道ツアーがあったのではないか。遠回りしながら自分を発見する旅の一つがこの公演だった。結果として沢山の方のご協力をいただき、猿まわしを間近でみる機会の少ない北海道の皆さんと交流できたこと、今回はその奮闘記です。

 北海道とのパイプ役を努めていただいたのは、古川顧問の大学時代の友人で食品加工業などを営む函館の実業家清水社長である。チョロ松・五郎函館公演実行委員会を発足するために奔走し実行委員長役も快諾いただいた。実行委員会のメンバーには清水社長が函館市の地域振興のために日頃から共に動かれている有志をたくさん紹介いただいた。函館の地元ラジオのパーソナリティ、函館市のスポーツ振興財団の理事、ロシア料理のレストランを経営者、金森ホールの館長を務めている浅見氏など多方面の方達が賛同して実行委員を務めていただくことになった。公演場所は函館港に隣接する昔ながらのレンガ倉庫をそのままに活かした金森ホール。約200名のキャパシティは猿まわしの箱としては理想であったので即決で決まり、日程も8月上旬の木曜日?日曜日の四日間、一日5回
(11時、13時、15時、17時、19時)の40分公演を行うことに決まった。そして公演の成否を握る一番大切なチケット販売は一回の目標を最低150名と設定して計20回公演で総入場者数3000名を目指した。当時の周防猿まわしの会のネームバリューがあれば簡単に集客できるという打算があったが、実際のところはそんなに甘くはなかった。公演直前函館入りするとチケットは思うようには売れておらず、急きょ函館市内のショッピングセンターで宣伝活動をやらせてもらい、宣伝カーでアナウンスしながら市内もまわった。あの手この手で実行委員会の方たちの協力のもと、目標の3000枚の前売り券を売ることができた。

 公演当日は、各公演30分前に金森ホールの前でチョロ松と呼び込み太鼓を叩きながら当日券のお客様獲得に向け頑張った。函館公演が始まる。夏休みということもありファミリー層のお客様中心だったと思う。演目も劇場版をそのままに持ち込んできているため特別な気負いもなくチョロ松も金森ホールの舞台にも慣れ安心していていつものチョロ松らしさも発揮され来場いただいたお客様にも生の躍動感溢れるアグレッシブなチョロ松の芸に満足していただけていたと思う。ただ、一日五回公演に舞台前の当日券販売、公演終了後の写真撮影会とチョロ松の疲れを私は気付いてあげられなかった。古川顧問から一言アドバイスがはいる。「五郎、演目にチョロ松の体を冷ますためのリラックスタイムを入れてみたらどうだろう」。このリラックスタイムをクライマックスの芸に進む前に入れてみると思いのほか功を奏し、チョロ松の動きが抜群に変わったことをよく覚えている。今でもこのリラックスタイムは色んな舞台の場面で活かされ続けている。四日間で20回の公演をチョロ松は一人で行い、最終公演は金森ホールいっぱいのお客様が歓迎してくれた。実行委員会の方達にはそれぞれの仕事がある中で公演成功に向け惜しみない協力をしていただき、実行委員長の清水社長には予算を少しでも軽くできたらと、金森ホールのそばにあるオフィスを宿代わりにと滞在中無償で貸していただいた。

 そしてもう一人紹介しなければいけない人がいる。函館市内の大門というところで飲食店を経営されているお華(はな)ちゃん。清水社長の紹介で知り合ったが、お華ちゃんにも足を向けて寝られないほどお世話になった。お華ちゃんのお店に行くと、狭い店内はいつも評判を聞いたお客さまでいっぱい、そこで披露してくださったお華ちゃんの唄は、店内に居合わせた人たちに幸せを届けるものだった。チケットを一人で千枚近く売って下さった上に連日、13時公演が終わると差し入れの手作り弁当を持ってきてくれた。お華ちゃんからは「函館で公演をやってくれてありがとう。」と言われたが、こちらこそ函館の皆さんに感謝しなければいけない。清水社長、実行委員会の皆さん、お華ちゃんありがとうございました。

函館を離れ、北海道ツアーは道央、道東へ向かう。