第四十話 2つのプロジェクトがはじまる

 アメリカ東海岸のツアーをした際に私は古川顧問にこんな夢を語っていた。「チョロ松とは日本全国47都道府県のほとんどを訪れたが猿まわしの芸を生で見た人はまだほんの一握りにすぎないと思う。実際にチョロ松を呼ぶとなると費用もかかるのでこちらから出向きもっと沢山の方々にチョロ松の芸を見ていただくための全国ツアーを次の目標にしたい。」古川顧問からは「そのためには自分達で一座を組んで地方公演を経験しながら猿まわしの芸も育てなければならい。それを実現する一座を組むことで猿まわしの芸を育てていくことができる。」と心強いアドバイスをいただいた。一座を運営する座長は責任が求められるし、また、一座としての独自の演目も考案し披露できるからだ。自前の劇場を持った我々が日々の公演を続けていくことで消耗やマンネリに陥ることは必然。そこから開放され初心や新鮮さを保つための方策が必要だった。非日常の興行が人材や芸を育てるというのが古川顧問の持論だ。

 思いたったらブレーキがかからない私は帰国後、「チョロ松全国100ヶ所ツアー」をやってみたいと会社に提案した。すると古川顧問から「北海道だけでも最低1ヶ月は必要だよ。それもほんの一部しかまわることは出来ないだろう。だから、まずは北海道ツアーを計画してみたらどうだろうか。」そして、提案にとどまらず、足がかりとして函館の知人を紹介していただいた。こんな『Going my way』の直感だけで突き進む私の望みを常に冷静に受け止め、誤解がないよう皆さんの同意を得られるレベルの企画に底上げしてくださる。こうして、私が座長を務める北海道公演に向けての計画が進むことになった。

 さらに周防猿まわしの会としても次なるプロジェクトが動きだしていた。

 阿蘇まわし劇場がオープンして間もない頃、父義正はその成功を足場に次なる劇場を全国各地に展開したいと野望を語っていた。まずは大好きだった沖縄、そして猿まわしのファンの多い滋賀県は琵琶湖湖畔の近江八幡、ニホンザルが生息しない北海道。そして、なんといっても日本の誇りである富士山。夢は全国各地の子どもたちのために猿まわし劇場を建設することだった。その夢は後継者である私達が引き継ぐことになった訳であるが。熊本県阿蘇地方に劇場を構えて5年目、九州で力をつけさせてもらい、いよいよ新たな地へ進出する時期だと判断し候補地探しに動き出した。
 我々のターゲットは中京圏か関東地方か揺れ動いた。候補地を視察し始めたばかりの頃、私と長兄は湖面越しに富士山が裾野からそびえたつ河口湖の湖畔に立っていた。雄大かつ見事な富士山、そして逆さ富士が河口湖の湖面に浮かび上がっている。こんな場所が残っていたことに驚いた。お昼には古風な造りで雰囲気のある店舗で地元特産の「ほうとう」を、案内してくださった「藤二誠」の清水専務にご馳走していただいた。この地を皮切りに関東地方行脚を一年に渡って行うこととなった。小田原の一夜城、伊豆高原、伊東、御殿場、山中湖など、人の紹介や勧めで積極的に視察を繰り返した。
 数ある候補地が実現不可能になる中、我々は最初に出会った河口湖畔に向かうこととなる。いや、富士山が我々を引き寄せたといった方が正しい。

 2013年6月22日、カンボジアの首都プノンペンで開かれた世界遺産委員会で富士山が世界文化遺産に登録された。同日午後4時半過ぎに始まった審議は異例の長い審議を経て、当初除外対象と諮問された静岡県の三保松原を含めた形で世界文化遺産として登録することが決まった。富士山という自然の造形美が育んできた信仰、芸術、文化、地域社会、計り知れない豊かさが世界から高い評価をいただいた結果だと考える。

 富士山を擁する河口湖猿まわし劇場のある富士五湖、富士河口湖町、そして河口地区でも世界文化遺産登録決定の知らせに喜びを爆発させた。構成資産のひとつである「河口浅間神社」で披露された「稚児の舞」、そしてお祝いの提灯行列、フィナーレにはこれまた構成資産である「河口湖」を大花火が彩った。

 そして、これに先立つ2013年5月には阿蘇猿まわし劇場のある熊本県の阿蘇山を中心とする周辺地域が世界農業遺産に登録された。熊本県の阿蘇山、山梨県の富士山と河口湖、両劇場のある地域が世界に認められる遺産に登録されたことは本当に嬉しく、阿蘇地域においては昨年7月12日の大水害から復興していく途上での明るい話題になり勇気を与えている。

 そして、富士山は世界文化遺産に登録されたことで、さらに世界の人々をひきつけていくことになるだろう。