第三十三話 まもなく、舞台の幕が上がる

 背伸びした・・・・・。埋め尽くされた客席の熱気が出番を待つチョロ松と私にも伝わってくる。そしていよいよ、大道で育った芸能が「芸術祭」の大舞台に立つ。

 第一幕「重岡フジ子の世界」。芸猿大吉とフジ子は舞台に登場すると一瞬のうちに500名の観客の空気を掴んだ。そして観客の気持ちを自分たちのペースに引き込む。客に媚びることなく「ねんねん子守り」「月形半平太」といった重岡先生の古典芸が展開されていく。大吉は気性が激しく楽屋でもチョロ松たちとは一緒の部屋に出来ないほど負けん気が強かった。しかし、重岡先生の手にかかれば借りてきた猫だ。いや猿だ。そんな大吉が重岡先生の言葉と軽快な太鼓さばきでまったくタナも感じさせない見事な動きでお客さんを魅了していった。派手な芸に頼るのでなく基本的な動きだけで豊かで心温まるシーンが会場を魅了する。大吉の名演技もさることながら、重岡先生の迫力には圧倒される。袖に控えていたが出番が近づくにつれより緊張感が高まってくる。約20分の演目が5分ぐらいにしか感じられない素晴らしい大吉と重岡先生の舞台であった。

 出番がきた。第二幕「義経(創作舞台)」。数か月にわたり十分な稽古時間も作り納得の中で臨むだけにチョロ松の調子は良かったと思う。配役は源氏役である。平家役である役者さんと決闘の絡みのシーンはチョロ松らしさをもっともアピール出来る大事なシーンである。四人が横に並んで突き出している四本の矢の上を飛び越えていく。高さ70センチ、横幅2メートル以上はある四本の矢の上をチョロ松が美しく飛び越えていく。見事に決めてくれた。一緒に演じている私が惚れ惚れするぐらいチョロ松の芸は美しかった。翌年のアメリカ公演でメインの写真となりチラシに使われたほどである。
 続く祝宴のシーン。戦に勝って祝杯をあげている源氏役のチョロ松と勘平のかけあい。ここは役者さんとのかけあいが入るので上手くいくか不安ではあったがコントを得意とする勘平・Dさんコンビの絶妙なテンポでお客さんを笑いの渦にひきこんだ。
 ただし、創作的なこの第二幕全体の評価については、人間の芝居に近付けようとして、落ち入る間違いを含んでいたことを後々痛感させられた。歌舞伎仕立ての方向には、独創的な舞台は不可能である。猿の魅力を引き出すことはできないばかりか、この第二幕では猿が邪魔になってしまった。本末転倒である。芸術祭が終わっても実はこの視点の整理がつかないまま、アメリカ公演までこの演目を続けた。周防猿まわしの会が越えるべき課題であり、矛盾の刃が一層凝縮して私に突き付けられることとなる。お猿さんが輝く舞台の楽しさが失われた悔しさを私も周防猿まわしの会も経験することとなる。

 第三幕は「周防猿まわしの会十八番芸」である。鍛え抜かれたお猿さんの大技が会場の重い空気を開放し興奮を呼ぶ。その一、輪抜け、直径30センチの輪を芸猿じゅんが軽快に飛び抜ける。一つの輪、そして二つの輪を縦に並べて「鯉の滝登り」、そして目いっぱい、横に広げた「うぐいすの谷渡り」と成功していった。続いて、「八艘飛び」はチョロ松の出番である。離れた階段から階段をより広く、高く飛び移り逆立ちする。一度跳んだら逆立ちのまま最後の静止までやめない。チョロ松の高鳴る呼吸が静かな会場に伝わる。階段間の広さは3メートル50センチ。さらに階段の高さは通常の二倍もあったが、チョロ松は稽古通りに決めてくれた。締め括りは「竹馬高乗り」、芸猿勘平が、足下3メートル、全長は勘平の身長の約5倍の高さもある竹馬に登る。緊張すれば失敗がありうる難しい芸だけれど一発で決め、客席の雰囲気は最高潮に盛り上がった。

 第四幕はエンディング。芸猿次郎が周防猿まわしの会の復活の思いを回想的に描いた無言劇を披露した。会場に静かな感動の波紋が広がっていった。

 芸術祭を振り返るとき、忘れられないのは第七話でお話しした藤井信師匠。和楽器を駆使して舞台の格調を高めるお手伝いをいただいた。今は大学教授の要職にあるが、その当時は若き民俗学の研究者であった田口洋美先生にはマスコミをはじめ様々舞い込んでくる問い合わせを捌いていただいた。阿蘇猿まわし劇場の久保さんには慣れないプロデューサー役を担っていただき、全体の調整役として忍耐のいる役割で芸術祭を無事終わるまで導いてくださった。演出家グループの一員として「しっかり稽古時間を持つことが大事だ!主役のお猿さん目線の台本、演出が大事!」と口酸っぱくアドバイスしてくれた古川さんの助言がありお猿さんも気持ちよく舞台にたてた。

 審査員の先生方による満場一致で「芸術祭賞」を受賞するという名誉にも輝いくことができたのも、まさに支援くださったお客様と舞台を支えてくださったたくさんの方々がいたからこそ。今でも感謝の気持ちを持ち続けています。

 「芸術祭」最後のカーテンコール・・・・・。
 ここまで支えてくれたたくさんの方たちがお祝いに駆けつけてくれた。中でも一番記憶に残っているのは俊(トシ)ちゃん。高校時代の先輩兼友人である。当時毎日のように通っていた都内高円寺のモナミという店は矢沢永吉のファンが集まる。そこのマネージャーをやっていたのが俊ちゃんだ。俊ちゃんと店主の阿部ちゃん(私はマスターと呼んでいた)には当時たくさんの迷惑をかけたにもかかわらず、いつも応援してくれ、そして何より不器用な村崎五郎を良い意味で壊して芸人らしく鍛えてくれた二人だった。そんな俊ちゃんとマスターがカーテンコールの時にバナナとバーボンを両手に抱えて舞台にあがってきて「おめでとう!」って渡してくれたことは本当に嬉しかったこと今でも忘れられない。