第三十二話 渡る世間は鬼ばかりですか・・・。

 1991年10月7日(月)、平成3年度文化庁主催芸術祭参加の日を迎えた。主役であるお猿さん、芸人、客演する役者さん、プロデューサー、舞台監督、音響、照明、その他たくさんの関係者含め総勢50名近いスタッフが曳舟文化センターに集結した。早朝から舞台道具、舞台セット等の搬入も終り、何よりも一番大切な主役であるチョロ松達お猿さんの個々の稽古は入念に行った。特に、二幕で共演する役者さんたちとの稽古には熱が入る。当然公演をむかえるにあたってこの場面の稽古は十分におこなってきた。・・・・・午後からのゲネプロ(通し稽古)をひかえた会場は何とも言えない空気に包まれ、緊張感だけが増してくる。音響スタッフさんの最終チェックの音楽がステージ上に大音量で流れる。そんなとき、曳舟文化センターのステージの全責任を任されている方が、「今流れている曲はもしかしたら大阪の音楽家、鈴木きよし先生の曲ですか」とたずねてきた。私は当たり前のように「そうですよ。」と答えたのだが、次の瞬間お互いに「何故?鈴木きよし先生を知っているんですか?」というようなちんぷんかんぷんな反応になっていた。鈴木きよし先生は、親父村崎義正と数十年来兄弟同然の親交があり、村崎義正の会葬のときには葬儀委員長も務めていただいた。チョロ松・五郎コンビが吉本興業の梅田花月、なんばグランド花月に出演する際には吉本興業との間を取り持っていただいた。ちなみに鈴木先生は吉本興業の有名タレントさんの漫才や新喜劇等の台本も書いていらっしゃる。阿蘇猿まわし劇場オープンのときには、猿まわし劇場オリジナルソング「お猿音頭」を作詞作曲していただき、今でも阿蘇・河口湖猿まわし劇場の舞台開演前には客席に流しているので来場した際には是非お聞きください。自然に手拍子してしまう曲です。
 曳舟文化センターの責任者の方は以前音楽関係で鈴木先生と縁があり、師匠と仰ぐほどの深い親交があり「今でも尊敬する人物だ。」とお話してくださいました。その直後、会場入りした鈴木先生と久しぶりに固い握手を交わしたお二人は久しぶりの談笑を楽しまれたようです。ニホンザルを舞台に上げての公演など当時は前代未聞のチャレンジだっただけに、曳舟文化センターとしてもどう受け入れるか悩まれたことでしょう。無名の周防猿まわしの会の公演は大丈夫か、そういう心配もされる中で、鈴木先生がバックにいることで強い絆が生まれ、公演への協力関係が深まった。

 第一幕で出演してくださる周防猿まわしの最後の継承者「重岡フジ子」、そして猿まわしの芸能を絶やさずつないでくださった先祖の皆様のあゆみを刻むためにこの芸術祭参加公演があると未熟な私にもふつふつと闘志が湧いてきた。会場に来られたお客様、審査員の皆様、凛々しい芸猿の立ち姿を観てください。無名だけれど身体に染みついた芸を保持する重岡フジ子の芸の深さ、そして軽妙であたたかい日本女性の芯の強さを存分に味わってください。

 午後、マスコミの取材陣も入る中でのゲネプロがおこなわれたが、チョロ松出演の場所は十分な稽古の成果もだせて台本通りの動きができた。あとはパートナーである私が良い緊張感を保ちつつチョロ松らしさを発揮させることができるか。