第二十九話 人生の師に出会う

 1991年6月、チョロ松ジュニアとデビューに向けての稽古が始動した。「明日、舞台に立て」と言われればすぐにでもデビューできるぐらいの基本的な芸はマスターしていたが、一人前の芸猿として舞台に上がるにはいくつかの芸を習得しなければならない。どうしても初代チョロ松と比較するので焦りが先走る。「竹馬高乗り」を極端に高くして無理をさせる、早く「八艘飛び」の芸を完成しなければという私の思いがジュニアに負担をかけてしまって、挙句の果てには怪我をさせ、療養期間も取ったためデビューが遅れた。初代チョロ松と苦労したこと、チョロ松から学んだことは生かされることなく3才を迎えたばかりの精神的にも肉体的にも子供であるジュニアに10才の成猿でないとできないようなレベルの芸や風格を求めた。本当は3才のジュニアの輝きやかわいらしさがまず芸の中心に据わるべきである。私が理想を求めるあまりジュニアの魅力には気付かないでいたが、お客様はジュニアの仕草を勝手に喜んでくださっていたに違いないし、ジュニアの魅力は自然に伝わっていた。ただし救いだったのは、「基本が大事だ」と親父に口すっぱく教えられたこともあり基本を馬鹿の一つ覚えのように欠かさず徹底してやったことでみるみるうちにジュニアも立派な芸猿になり、相変わらず強引ぶりだった私の指導をジュニアは受け止めてくれ成長していった。

 夏休み中盤にさしかかり、「ナイトシアター」と題して阿蘇猿まわし劇場初の試みでもある夜の公演が行われた。コンセプトとしては通常の公演では試せない演目に挑戦し新しい芸を開発していくための実験的な公演を行うことが目的であった。復活以来始めて4組のコンビが同時に舞台上に出演し、従来の1組では難しかったコントなど今までにない舞台を試みた。狭い舞台に相性も年齢も違う芸猿が同時に出演することは難しい。それを試すことで猿まわし芸の可能性を広げていけないか若い未熟な芸能集団であるだけに怖いものなしの私たちは前向きにチャレンジしていく気運に包まれていた。ジュニアは課題とされていた足下1m80cmの竹馬高乗りが出来るようになり、公演のおおとりでもある竹馬高乗りも一発で成功させ場内を沸かせた。夜開催の公演で心配されたチケット販売は地元の方の応援もあって沢山のお客様に来場していただき、満員御礼の大盛況であった。

 そんな時を同じにして阿蘇猿まわし劇場にお客様が訪れた。猿まわしの舞台を豊かにしていくために外部のアドバイザーが必要だと芸能部長が提案し数名の方を阿蘇猿まわし劇場に連れてきたのだ。芸能部長だったT兄が東京で知り合った方達であった。以前紹介した若き日の餅つきパフォーマンスの藤井さんや当時フィールドワークで全国を駆け巡っていた田口さんなどすでに知り合いだった方もいらっしゃったがまったくの他人である人間が介入してくるように思えて受け入れられなかった。ましてや猿まわしの調教師や芸人でもない人間がお互いの信頼関係もない中で突然私たちの稽古に参加し猿まわしの今後の舞台について勝手に意見を言い出したことで私は完璧に拒絶した。そのときは最後まで私は心を開くことが出来ず訪問者との関係に違和感を拭えずに時間だけを経過させてしまった。

 しかしその後付き合いが続いていくうちにある一人の方には気持ちを許せるようになってきた。その方は終始にこやかで、ある時「あっ、この人は本当に猿まわしが好きなんだな」と思った。その瞬間に私から自然に話しかけるようになっていった。舞台を鑑賞し意見を求められると必ず最初に、自称「猿まわしおたく」と自己紹介した上で気取らずゆっくりお話しされるし、持論を話されるより我々の話を聞きしっかりすべてを受け止めてくださる。また、「猿まわしは歌舞伎より能や狂言が参考になる。」「お猿さんが上手くできるところだけでなく苦手なところ、失敗も組み込んだ台本を創るべき・・・。」と舞台から芸能集団としての在り方、はたまた人材育成まで多岐にわたり我々の血肉になる言葉をいただいた。

 古川さんである。見た目の第一印象は「猿まわしおたく」とはほど遠い「如何にも都会のインテリ」という雰囲気をかもしだしている方である。三重県御浜町出身で早稲田大学卒業後「紀伊国屋書店」に就職。後に退職して東京神田で出版社を立ち上げられた。民俗学をはじめとして学術書など出版物への評価は高い。その民俗学が接点となり我々とも長くお付き合いいただくこととなった。

 古川さんは猿まわし復活当初から、周防猿まわしの会のお猿さんたちの無類のファンである。後に周防猿まわしの会の顧問をうけてもらい、血の気の多い村崎兄弟の潤滑油役を長きにわたり務めていただいた。猿まわしの舞台についても顧問という立場ではなく常に「猿まわしおたく」としてお客様目線でアドバイスをしていただき猿まわし芸能の発展を見守って下さった。これからチョロ松物語で展開されていく芸術祭出演、アメリカ公演、明大前実験劇場公演、北海道ツアー、河口湖猿まわし劇場オープンと数々のチョロ松・五郎コンビのドラマを書く中で決して外すことの出来ない人物であり、村崎五郎を成長させてくれた大恩人であると感謝しています。