第二十八話 初代チョロ松からジュニアへ

 1990年3月26日、阿蘇猿まわし劇場がオープンして1年が経った。大方の反対を気にせず、観光地阿蘇での成功を信じて全力で駆け抜けた親父はもういない。年間入場者目標20万人をはるかに超えるお客様に感謝して阿蘇猿まわし劇場併設の休憩所建設に向けての準備が順調に進んでいた。親父が最後に手掛けることとなったこの休憩所は劇場の待ち時間があるなかでお客様にゆっくり待っていただくためのもので親父ならではお客様目線の結晶であった。百坪はある建物は第二劇場予定になっている森の見事な杉を数十本も活用した造りで「猿公館(えんこうかん)」と名づけていた。この一角にはお袋が味付けした自慢のうどん屋も有り、猿まわしの歴史の紹介、富山県を代表する井波彫刻の大野秋次先生のお猿さんをモデルにした欄間の彫刻や山岳画家の第一人者でもある山里寿男先生の油絵も展示された。時を同じくして、猿まわしの世界に飛び込んできた人たちが落ち着いてお猿さんと向き合い修行出来るためにと劇場の敷地内に調教師専用の寮の建設にも着手していた。

 5月、チョロ松も13歳を迎え、心なしか体力の衰えを私は感じはじめていた。人差し指の怪我以来チョロ松の調子はよくなかった。そんな時に引退させてあげたらどうかという話が持ち上がった。会にとっても自分にとっても宝であるチョロ松、そして今なお全国各地から寄せられるチョロ松への公演依頼など多く、現役続行と引退かで悩みに悩んだ末、チョロ松を元気な内に引退させることで気持ちを固めた。チョロ松は阿蘇猿まわし劇場にある現役の芸猿や引退した芸猿が一緒に暮らす遊び場付の猿舎で晩年を過ごした。奇しくも親父の相方だった芸猿常吉も同時期に引退していたので、現役時代よりも長い引退生活をゆっくりのんびり楽しんでくれたのではないか。二頭とも時折舞台上で見せていた緊張感のある素顔がすっかりなくなり、引退後もチョロ松を訪ねてくるマスコミ関係者に興奮することなく冷静に対応してくれた。初代チョロ松は引退しても周防猿まわしの会の誇る大スターであった。

 初代チョロ松の名跡を受け継いだのがチョロ松Jr(愛称ジュニア)である。本来なら二代目チョロ松と命名するところだが、これから相棒となる若干2歳のかわいらしい小猿でもあり「Jr(ジュニア)」と呼ぶのに何となく響きもいいし、当時のチョロ松にはぴったりだと考えた。Jrという名前を選んだもう一つの理由は私がサミーデーヴィスJrの大ファンだったからだ。大学生の時に友人に薦められて観た映画があった。「オーシャンと11人の仲間(後にオーシャンズ11という映画でリメイクされた)」の主人公役でもあったサミーデーヴィスJrを観てファンになり、当時から洋楽が大好きなこともありの彼の音楽も聴いた。アメリカを代表する歌手でもありまたエンターティナーとしてもアメリカだけでなく世界中で認められた人物でもある。
初代チョロ松が引退し、ジュニアとの新しい物語が始まる。

 初代チョロ松には圧巻の芸と名声があったが、ジュニアとはこれからだ。だが不安よりも新たな希望がわいてくるのだった。8月に予定されている「ナイトシアター」と題した劇場始めての試みでもあった営業時間外の夜の公演でのデビューが決まり、公演前日までに足下1m80cm以上の竹馬高乗りに乗れるという目標を目指すことになった。