第二十五話 鯖の味噌煮が食べたい

 親父が危篤との連絡があって翌日の早朝便でハワイをあとにする。成田空港に到着すると羽田空港までタクシーで移動、広島空港の最終便に乗り換え、広島駅から新幹線で徳山駅へ、その足で病院へ向かい着いたのが23時頃だったか、病室で親父と対面したときにはまだかすかに意識はあった。私に気付いてくれたみたいで、私の顔をじっと見て、そして私の手を力強く握りしめてくれた。そして私にメモを手渡してくれたのだが、そこには「兄弟仲」とだけ書かれていたが、それを見た私に何度かうなずきながら親父は意識をなくしてしまった。これが親父との最後になってしまった。

 それから1週間後の平成2年2月23日午後6時30分、村崎義正永眠、享年56歳であった。

 私にとって村崎義正とはまさしく親父である。当たり前のことのようであるが最近は、親を親と思ってないのが普通であると私は感じる。村崎義正家の末っ子の五男坊に生まれてきて、絵に描いたようにかわいがられ、甘やかされて育ってきた。その反面、人として道から反れたような行動があるととことん厳しく怒られることもあった。親父は五人の息子それぞれに子供の頃からいつくかの試練を与えてくれていた。

 小学校2年生の時であった。自分のまわりの友達たちは15時になるとお決まりのようにおやつが出るというのが当たり前であったが、当時の村崎家と言えば世間一般でいう貧乏子沢山の家であったため当然「3時のおやつ」というものはなく、小腹がすくと私のおやつはもっぱら猫に餌であげていた「いりこ」(関東でいうにぼし)であった。そんなことに不満を持っていたのではなかったが子供心に友達を見ていて羨ましいと思っていたことも事実である。そしてとうとう間がさしてしまい取り返しのつかない事件を起こしてしまう。それはある日の夕食どきであった。今でも本当によく憶えているが、その日の献立は大好物の鯖の味噌煮だった。そんな楽しい夕食を前にお袋の財布に入っていた100円がなくなったと大騒ぎになる。当時の村崎家の家計事情からすると100円という金額は大変貴重なお金だったので100円という金額ですらなくなると気づくほどであった。親父は、上の兄貴から「知らんか」と順番に聞いていった。すると四男の兄のTさんが「夕方、義則(私のことである)が近くの岡村商店でおでんを食べよったけど」という発言で私が盗んだことがばれてしまった。血相を変えた親父に「義則、おでんを買うお金はどうしたんか」と聞かれ私は「母ちゃんの財布からとって買った」と正直に答えたが、今まで見たことがないほどの形相で親父は私をつかみ、殴り飛ばした。何度も何度も繰り返し「ええか、人を騙す人間になるな。」と言っては殴り飛ばされ「人の物を決して盗んではならない。」と言われてまた殴り飛ばされ、「絶対に人を裏切る人間になるな。」と言われ殴り飛ばされ、殴られる度に私は「もう一発殴られれば大好きな鯖の味噌煮が食べれる」と心の中で思い続けること約1時間以上にわたって殴り飛ばされた。「わかったんなら飯を食え」と言われ終わったときには顔は腫れ上がり口も開けられない状態にまでなり、鯖の味噌煮は食べられなかった。その話を聞いてすぐに家に駆けつけてくれた人がいる。当時、学校が終わると通っていた浅江児童館の館長を務めていた有沢先生(女性)である。旦那さんも中学校の教師を務めている方で有沢先生ご夫妻には村崎家一族の子息の教育と成長を見守ってくださり、たくさんの御縁と長年のお付き合いをしてくださっております。私の腫れ上がった顔を見て「義則君その顔どうしたんかね・・・。」事情を知った先生は親父を訪ねて「息子にこんな目にあわせて、あなたは父親失格です。今日から私が義則君の面倒見ます」と言うなり私を先生宅に連れて帰った。数日経ってから親父は深く反省し有沢先生にお詫びを申し上げ私を自宅に連れて帰った。

 あの時親父に殴られたことは今でも鮮明に残っている。それほど大変な出来事だったし、以降親父は怖いという感情を持ったことも確かだが、それ以上に愛情を注がれていることを感じていたので不思議と恨みだとかもろもろの感情は一度も抱かなかった。

 逆に4人の兄貴たちに比べれば、末っ子である私だけはやりたいことをやらせてもらい本当に感謝している。小学校3年になると中日ドラゴンズの星野仙一(現楽天ゴールデンイーグルス監督)選手に憧れ少年野球に入部し、高校卒業までの10年間大好きな野球に没頭させてもらった。勉強は一度も強要されることはなかったけれど、からっきし駄目だった。結局、小学校を卒業するまで成績はオール1だった(マジです)。小学5年生の秋を迎えた頃だったか、親父から突然話しかけられた。「義則、野球は楽しいか?」との問いかけに私は「うん・・・」とだけ頷く。親父はうれしそうに「そうか。勉強は嫌いなんじゃろうの?」の問いにまた私は「うん・・・」とだけ頷いた。すると親父は、「勉強は嫌いなんじゃろうから無理してやらんでもええからの。好きな野球でもええんじゃけど、一番とかいうことじゃなくとにかくこれだけは誰にも負けんちゅうものを見つけれたらええの。」と言われた。その時それだけで話は終わったが、今まで何も考えなかった私がその日から私に話しかけてくれた親父の笑顔を忘れることが出来ず「誰にも負けんちゅうもの」を何日も真剣に考えた。そして9月30日、「これだ!」と突然ひらめいたんです。