第二話 親父の罠

 大学1年の冬、後期の試験を終え、次のバイト探しを始めようと考えていた時、1年に1回の本社(山口県光市)に集合する際に、親父から「義則も一緒に戻ってくればいいじゃないか」と話がある。日頃は学生の身分で、そんなに故郷に帰ってくる必要はないという親父が「帰って来い。」という言葉には、一瞬迷った。というのは、東京の事務所では、連日深刻な話が続いている。
 まさかとは思ったが、帰るにあたっては、「そろそろ猿まわしを継がないか」という話をふられた時の事も含めて、覚悟を決めておかなければと思った。
 そして、1985年2月20日、車で、山口に一緒に戻る。帰った際に、親父のにやけ方が妙に気になったので、友人のところへ遊びに出掛け、自宅にはなかなか戻らなかった。
 翌日の2月21日の夕方、自宅に戻ると、ダイニングで和やかな雰囲気の雑談が聞こえるが、こっそりと部屋に戻ろうとすると、「義則戻ってきたか。」と親父の声が、この瞬間にダイニングに行くのであれば、本当に覚悟を決めて行かなければいけない。本当に一瞬の間だが、覚悟を決めた。常日頃から、親父の口癖は「迷うな!返事をするのに何秒もかかるのは駄目だ。」と子供の頃から言われていた。
 「ちょっと来い。」と言われ、行くと、その空気には緊張感は全くなく、入りやすい雰囲気をつくってくれたのか、ただ座ると同時に、親父からは予想通りの話が即座に来た。
 「今日、今までのチョロ松のパートナーが辞めた。このチョロ松という猿は、素晴らしい猿で、このまま引退させるのは、猿まわしの会においてももったいなさすぎる。」
 「それで、お前の夢は、高校の教師になり、高校野球の監督で、甲子園に行く事だったな。俺からすると、大学でも沢山の事は学べる事も間違いない!ただ、甲子園に行くような指導者になりたいのであれば、猿一頭も調教出来ないようであれば、その夢も厳しい。どうか、チョロ松のパートナーになってみないか。」
 その時は、意地と自分が何とかしなければいけないという勘違いの甘さの考えから、即座に返事をした。
 「分かりました。ただ、今日は皆様(その当時の猿回しのメンバー)がいますので、ひとつだけ条件があります。大学は辞めない事、教員免許を取得して高校の先生になる。すなわち、大学4年までやるということでもいいでしょうか。」
 親父もその事は分かっていたかのように、
 「その事は分かった。大学4年までの3年間頼むぞ。」
 と言われ、その時、すでに親父の心の中では、「これで義則は一生猿まわしだ」という確信があったのではないかと思うし、罠というか、親父の思い描いた通りのストーリーになる事さえ確信していたのではないかと思う。