第十八話 人生の岐路

 1988年6月は本当にめまぐるしいひと月になった。地方のイベント出演をこなす多忙なスケジュールの中、上旬に阿蘇猿まわし劇場の起工式に出席、中旬にはSONYウォークマンCM第二弾「草原編」の撮影で北海道静内町へ遠征し、そして下旬にかけては自分の人生を左右するであろう教育実習を受けるために母校である山口県光市立浅江中学校の門を久しぶりにくぐった。

 私には教員になるという夢があった。そのきっかけとなったのは、私が浅江中学校2年生の時に赴任してきた富永泰寿先生(当時30歳)だった。先生の第一印象としては今の時代には考えられないようなスパルタを絵に描いたような『怖い』『危険』という言葉がぴったり当てはまるような先生であった。私が部活で在籍した野球部の顧問でもあり野球の面白さ厳しさをスポーツ全般を通じて教わった。部活以外でも生徒に一生懸命向き合うひたむきさ、どんな困難にもあきらめない姿勢、富永泰寿という人物を知れば知るほど私は先生の人柄、魅力にひかれていき、中学2年生の夏、先生と同じ日本体育大学に進学して教師を目指し、いつか先生のような指導者になりたいとう思いを抱くようになった。

 それまでの夢は・・・・。小学校2年の時に親父にグローブをプレゼントしてもらったのがきっかけで野球をはじめてからは明けても暮れても野球というぐらい勉強もせず野球と遊びに没頭していた。そして、小学校4年の時にテレビ中継で、中日ドラゴンズの「星野仙一(現楽天ゴールデンイーグルス監督)選手」を見てファンになり以来今でも星野監督が指揮を執る球団を常に応援している。さらに、小学校5年の時にNHKの中継で見た夏の高校野球大会での神奈川県代表、東海大相模高校の「原辰徳(現読売ジャイアンツ監督)選手」に憧れていつしかプロ野球選手になりたいという世間一般の子供と同じような夢を持っていた。 野球選手から、教育者へ、夢は孤を描いて変化していった。 夢と希望に満ちあふれてのぞむ教育実習でありながらその気持ちとは裏腹に複雑な心境があったことも間違いない。この時点までは間違いなく教員になることがひとつの目標であり、それを実現するには大学卒業後チョロ松とのパートナーを解消しなければならない。このまま猿まわしの後継者として進むのか、教員の道を目指すのか。どちらの人生を選択するのか。仕事と学生生活の狭間で本当に迷いながら教育実習へ挑むことになる。 チョロ松と共に中央道、中国道を走って山口に向かった。