第十五話 へそくり 一千万円の勇気

 暖かいサイパンから一路真冬の阿蘇山へ。サイパン旅行の余韻に浸り、程よい疲れで車中の会話すら当然なくなっていたが、そこは日本を代表する観光地「阿蘇山」が私たちを迎えてくれるとみんなの表情も次第に緩んできた。阿蘇登山道路(赤水線)の入り口から800メートルほど入ったところで親父は車を止めて歩き出した。何かに関心をもったのかと思ったらただ立ち小便をしに行ったらしい。しばらく戻ってこないので様子を見に行き「親父、大丈夫かね」少し離れたところから親父の声が「ちょっと中に入って来い」。そこは人間の姿を覆うほどのうっそうとした葦で囲まれていて、人が歩いた形跡なのか小道ができていた。その小道を5メートルほど入ったところにうっすら霧がかかっていて何とも幻想的な池があった。そこにあった池をしばらく眺めていると突然「よし、ここに劇場を建てるぞ!」と言われ私は驚いた。誰にも打ち明けていなかったが観光地として好感を抱いていた九州への劇場進出を密かにもくろみ、メンバーを引き連れての阿蘇への寄り道だったことに気づいた。親父が「やる」と決めたら行動は早い。その場ですぐさま現地の不動産業者を捜し阿蘇の調査に動き出す。業者からは登山道をさらに2キロ登ったところに別荘や飲食店もあり開発も進んでいる土地があるからとそちらを勧められたが、親父は直感で一目ぼれした池付近以外、別件の話しには見向きもしなかった。強い決意は幸運を呼ぶ。阿蘇進出に欠かせない人物を紹介された。その方は代々、阿蘇の長陽村下野地区発展のために尽力されている塚元隆氏だった。後に長陽村議会議長も務められた方だが、腹の据わった人物同士意気投合するのに時間はかからなかった。この地に惚れ猿まわし劇場を作りたいと力説する親父に協力を惜しまないと約束してくださった。

 この地に猿まわし劇場建設が決まると 親父はこの池を勝手に『麗岳湖』と名付けた。そして、親父は麗岳湖の魅力をこう書き残している。「阿蘇五岳に雨が降ります。その水が地中深く浸透して地下水脈をつくり、それがお猿の里建設用地そばの小湖に湧き出しています。ぼうだいな水量で、どんな渇水期でも豊かに湧き出して、尽きることがありません。壮大な阿蘇のもうひとつの象徴と言えましょう。水豊かな土地は栄えると言われていますが周防の猿まわしは本当に恵まれていると思います。会長はいま、この豊かで神秘的な小湖のよさをとり入れ生かしながら、どう活用するか、好きな魚釣りも忘れて思案にふけっています。」(村崎義正著 猿まわし通信79号)

 サイパンから阿蘇山経由で本社(山口県光市)に戻ると、すぐさま地元の金融機関に話を持ちかけたが突然沸いて出てきたような夢のような話には付き合ってくれるはずもなかった。親父の中では確固たる自信の上での構想だったと思うが金融機関だけでなく会の面々すら賛同する雰囲気ではなかった。それに、たかが復活して10年足らずの芸能団体、ようやく経営の基盤が整いつつあった時期だし、復活には莫大な費用もかかっていたので預金もなかったはずである。しかし、救世主が現われた。阿蘇に猿まわしの劇場を建てたいという親父の夢に唯一賛成したのが意外にもいつもはブレーキ役にまわる、私の母親でもあるが、妻「節子」であった。暗礁にのりあげている親父を見兼ねて、コツコツ貯めた虎の子の1000万円をぽんと出した。それも亡き母親が節子のために残してくれた数十万円を元手に何年もかけ、特に夫の義正には内緒で蓄えてきたへそくりだった。親父は、節子のことを山之内一豊の妻だと大騒ぎし、その後もことあるごとにその話を得意満面に語るようになった。「ケチな節子が1千万円を出してくれた。」これこそ鬼に金棒、節子の心意気に俄然、親父の萎えかけた闘志に火がついた。そして約一ヶ月後の3月上旬東京へ。「阿蘇お猿の里・猿まわし劇場」事業計画を作成し、東京の金融機関に話を持ちかけるために一人で上京してきた。東京駅に迎えに行ったときの親父の格好には呆れるというか開いた口が塞がらなかった。スラックスに上着は半纏。「親父、その格好はまずいじゃろ。」すると「人間格好じゃない。ありのままの村崎義正を見てもらって判断してもらえばええ。」飾ることなく勝負する、それが親父だった。池袋にある金融機関まで送り、その後私は立ち会っていなかったので詳しい内容はわからないが、その金融機関の常務取締役他2名の方と約1時間面談できたみたいで、駐車場に戻ってきた親父はまんべんの笑みで「阿蘇に来るそうじゃ。」本当に嬉しかったんだと思う。今でもあの時の親父の希望に満ち溢れた笑顔を忘れることはない。なんども消滅の危機にさらされてきた伝統芸能猿まわしが大地に根を張り基盤を固める。そのために観光地に自前の劇場を持つのだ。豊かな自然の中でお猿さんを飼育し、調教法の研究、大道芸から舞台芸へ発展させる。親父、周防猿まわしの会初代会長の壮大なる野望が現実に向かって動き始めた日になった。恐るべし「村崎義正」、それを象徴する一日であった。

 最後に、チョロ松物語の連載を始めてお陰様で1年が経ちました。河口湖の劇場でも「読みましたよ」とか「毎月楽しみにしていますよ」等たくさんの声もいただき本当に励みになり書いています。もっと全国の皆様に「周防猿まわしの会」という芸能団体を知っていただくために丹念に書き続けていきたいと思います。これからも忌憚ないご意見、ご感想をお待ちしています。