昭和45年 秋 |
俳優の小沢昭一氏が放浪芸取材の為、村崎義正(初代会長、故人)を訪問。これをきっかけに猿まわし復活運動の気運が高まる。 |
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昭和52年 12月 |
俳優の小沢昭一氏、民俗学者の宮本常一先生(故人)、民族文化映像研究所所長の姫田忠義先生、サル学の今西錦司先生(故人)達の援助で「周防猿まわしの会」、本格的な復活運動を開始。 |
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昭和53年 1月 |
日本猿の調教に取り組む。 |
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昭和53年 7月 |
村崎義正、調教法を確立。 |
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昭和53年 9月 |
光市「5万人虹の祭典」で復活デビューを果たし、その模様がNHK「新日本紀行」で全国に紹介され、注目を浴びる。 |
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昭和54年 1月 |
猿まわしの研究、記録を残すための保存団体から、猿まわしの芸を提供するプロの芸能集団に脱皮した。 |
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昭和56年 3月 |
国立劇場、芸団協公演「道行く芸能」に出演。 |
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昭和56年 5月 |
重岡フジ子、芸猿カブを調教、古典芸復活。 |
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昭和61年 9月 |
猿まわし史上初の常設劇場、猿まわし小劇場が光市で落成オープン。 |
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昭和62年 7月 |
村崎五郎がコンビを組むチョロ松、ソニー・ウォークマンのCMに出演、大ヒットを記録。この年のCM大賞最優秀スポット賞、広告批評コンテスト第1位に輝く。 |
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平成元年 3月 |
熊本・阿蘇に608人収容の本格的常設劇場「阿蘇お猿の里・猿まわし劇場」がオープン。 |
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平成3年 10月 |
文化庁主催、芸術祭に「猿まわし五人衆」で参加。大道芸、動物芸として初参加でで芸術祭賞を受賞。 |
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平成4年 9月 |
猿まわし史上初の海外公演をアメリカの地で行い、アメリカの方々より大歓迎を受ける。
ニューヨーク・リンカーンセンター、セントラルパークで公演。ハーバード大学、ブラウン大学を親善訪問、交流を深める。 |
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平成6年 1月 |
沖縄・名護市において猿まわし劇場出張公演を1ヵ月間実施、連日大盛況となる。 |
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平成6年 8月~9月 |
五郎、チョロ松コンビ、北海道ツアーを実施。函館での猿まわし劇場の出張公演をはじめ、北海道中で好評を得る。 |
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平成8年 4月 |
山梨・河口湖に655人収容の「富士お猿の里・河口湖猿まわし劇場」をオープン。 |
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平成9年 11月 |
猿まわし復活20周年を記念して、山口県5ヶ所で「ふるさと公演」を実施、重岡フジ子が古典芸を披露し引退公演を飾った。 |
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平成11年 11月 |
ロサンゼルスで行われた日米文化交流「US-JAPAN EXPO99」に日本の伝統芸能代表として招待を受け、出演。 |
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平成12年 |
「20世紀の殿堂入りCM」にウォークマンCMが選出。CM業界に大きな足跡を残す。 |
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平成12年 |
ニホンザルの二足運動能力に関する解剖・生理・運動学的総合研究が京都大学・大阪大学の共同研究者の手で始まる。 |
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平成14年 11月 |
環境省が実施した「鳥獣保護法」改正に関するパブリックコメントに参加、「伝統的な鳥獣技芸(猿まわし)に用いる個体の捕獲を、保護の目的に明記すべき。」という周防さるまわしの会の願いに同意する意見書が全国各地から1407件も寄せられた。 |
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平成15年 4月 |
東京・下北沢にて 復活25周年を記念して「THE 猿まわし」公演実施。猿まわし独自の手法による舞台づくりが始まる。 |
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平成16年 8月 |
光市指定無形民俗文化財に指定される。 |
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平成18年 4月 |
河口湖劇場10周年で入場者が120万人を越え、若い世代の調教師希望者が続々入門する。 |
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平成20年 5月 |
勇治・常次コンビの新作「忍者 ハッタリ君」を上演開始、好評を呼ぶ。 |
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平成20年 12月 |
村崎五郎が四代目チョロ松とコンビを結成、古典芸「月形半平太」に挑戦する。 |
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平成21年 3月 |
阿蘇劇場がオープン20周年となり、オープン以来約800万人のご来場者を迎え、近年、海外のお客様が増大し、特に韓国を始め台湾・香港のご来場者が多く大好評。 |
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平成21年 12月 |
環境省が実施した「特定鳥獣保護管理計画技術マニュアル ニホンザル編」に関するパブリックコメントに参加、「有効活用の具体的事例として猿まわしを明記して欲しい」と表明、全国各地から4000名を超える方々に賛同の意見を寄せていただいた。 |
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平成22年 5月 |
くり松・かき松コンビの新作「正義のヒーロー サルヤマン」を上演開始、勘平・新八コンビの「元祖サルヤマン」のニューバージョンとなる作品である。 |
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