猿まわしの消滅を乗り越え、復活の立役者となった二人 村崎義正

周防猿まわしの会 村崎義正

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 村崎 義正(1933年~1990年)

 昭和8年3月7日山口県光市に生まれる。差別と貧困に自暴自棄となっていた青年期、同郷の詩人・丸岡忠雄氏の薫陶を受け、同和問題の真実を知り、胸を張って生き始める。その後、部落解放運動の闘士として活躍、差別は差別を受けたものだけでなく、差別する側にとっても不幸な問題と提唱、垣根を越えた差別解消の運動に全人生をかけた。40代半ばからはふるさとに残った猿まわしの復活運動に着手、幻になりつつあった芸能の聞き取りを進め、重岡フジ子のアドバイスを受け、それを参考に科学的な調教法を確立して、幻の芸能と言われた猿まわしを復活させた。浮き草稼業的な芸能からの脱却を図るため、平成元年3月には芸能と観光を結びつけた阿蘇猿まわし劇場を開設し、猿まわし継承の土台を築いた。それに先立つ昭和61年9月、猿まわし千年の歴史ではじめてとなる「猿まわし小劇場」を光市にオープンさせた。晩年、自身の人生や猿まわしと子育てをテーマに講演会に招聘され、共感を集めた。現在、周防猿まわしの会は義正の長男洋一(芸名源太)と五男義則(芸名五郎)が中心となって活動を継承している。

 義正の発想は自由闊達で、調教法開発の対象とした猿はニホンザルでなくインドネシア産のムーアモンキー「ゴロウ」であった。その思考は柔らかく、どんなに困難な状況に陥ってもあきらめることなく、人も驚く解決法を見つけた。ただし自身の活動によってえられた成果を自分のものとせず、身の丈にあった生活を続け、成功や名誉を得た後も人生を社会的弱者と共に歩んだ。タバコと酒、読書と釣りが好きで、仲間を集めては賑やかな酒宴を開いていたが、先陣を張った長年の疲れが体にたまり、平成2年2月23日、56歳の若さで他界することとなった。

 ※著作は「猿まわし復活」(発行所 部落問題研究所)など多数。