「よいものは残る」

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周防猿まわしの会
      ー 周防猿まわしの会結成当時の会長からのメッセージ ー

 私たちのふるさと『高洲』は、近代猿廻し発祥の地です。御年配の方なら、どなたにもなつかしい思い出になっている猿廻しは、高洲部落を中心にした、周防一 帯(山口県東部)の部落から出ていました。最盛期は大正時代の初期ですが、高洲部落には、猿廻しの親方が、七人も、八人もいて、猿の数は百五十頭、専門の 調教師が幾人もいました。ですから、周防一帯では、猿が二百頭をかるくこえるくらいはいたことは確実です。これだけの猿を連れた人間の集団が、十組以上 に別れて、全国津々浦々、くまなく、歩き廻ったのです。

 ひょうきんな日本猿が、猿廻しの軽妙な太鼓のリズムにのって、いろんなむつかしい芸をやってのけるので誰でもびっくりしますが、ひとつ、ひとつのしぐさ も面白く、娯楽のなかった当時のこと、ほとんどの人々が、貧しく、暗い毎日を過ごしていただけに、どんなに親しみ、喜ばれたか解りません。「そう言えば、すっかり来なくなって久しいが、なぜだろう?」と思われる方も多いことでしょう。周防の猿廻し達が日本の社会から消えて行った原因は、いろいろあげられますが、最大の原因は、『差別』がつきまとったからです。大道芸は、いやしい人間 のやる芸だと思われており、さまざまな迫害を受けたからです。

 私は、高洲の歴史を研究するようになって、あれだけ、全国民に親しまれた猿廻しが、反面、こづき廻され、ふみつけられる、まったく悲惨な仕事であったことを知りました。私は、できるだけ多くの事実を知ろうと思って、古老達をたずね歩きましたが、口を固く閉ざして話してくれない人が多かったのです。たまに話してくれる人がいても断片的で、声を細めて語るほど、辛い思い出なのです。
 腹の底で、怒りがにえたぎりました。「こんなことがあっていいのだろうか」と・・・・・。どんなに素晴らしい文化であっても、不合理に押し潰してしまう社会のあり方が、許せませんでした。

 昭和四十五年くれのこと、小沢昭一さんが、「日本の放浪芸」取材のために、私の家へ、ひょっこり尋ねて来られました。たちまち意気投合して、丸岡忠雄さんともども、御交際いただくなかで、猿廻し芸の保存、継承、発展への展望がふくれてきました。 つい最近、民俗学者の宮本常一先生にお逢いし、いろいろご指導願ったのですが、「保存、継承、発展させてゆくことができるなら、日本民族、いな国際的にも、大きな貢献になる」とはげまして戴きました。日本の素晴らしい民族文化が、不合理な社会構造のなかで、次々に、消されてゆくのを、先生も怒っておられる一人です。

 宮本先生や小沢さんの御支援を得て、猿廻しが、ふたたび、国民の皆さんのもとへ訪れることができるようになります。猿廻しの調教から芸までできる方が健 在であってくれたことは、またとない幸運でした。
 ぐうぜんではありません。『よいものは残る』ことを、しみじみと自覚しました。差別のかべを打破って、今度、姿をみせる猿廻しは、自然と人間が楽しく共存するものとして、かならず継承、発展されてゆくでしょう。

 あたたかい御支援をこころからお願い申し上げるものです。

                          周防猿まわしの会
                          初代会長 村崎義正